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近現代史綜合スレ

454荷主研究者:2013/05/29(水) 23:45:40

http://kumanichi.com/news/local/main/20130512003.shtml
2013年05月12日 熊本日日新聞
点在の国史跡、西南戦争どう伝える 植木・玉東

田原坂資料館や弾痕の家などがある田原坂公園=熊本市北区植木町

国史跡に指定された戦跡群の一つの二俣瓜生田(うりゅうだ)官軍砲台跡。官軍が、薩群の陣地であった田原坂方面に向けて撃ったとみられる大砲の轍(わだち)跡が見つかった。写真奥には田原坂公園が見える=玉東町

 熊本市北区植木町と玉東町に点在する西南戦争戦跡群9カ所が3月末、国史跡に指定された。しかし、戦跡が広域に点在している上、民有地も多いため、今後、戦場跡としてどう整備し保存活用していくか課題も少なくない。

 1877(明治10)年の西南戦争の大激戦地だった植木・玉東地域には、古戦場跡や官軍砲台跡など、官薩両軍の攻防戦の実態を伝える多様な戦跡が良好な状態で残る。両市町は2009年、国史跡指定を目指して「西南戦争遺跡群連携保存活用協議会」を設置。戦跡の調査研究やPR活動に努めてきた。

 植木・玉東地域の戦跡群の特徴は、広大な地域に点在している点。今回指定された9カ所だけでも約20ヘクタールの区域に及ぶ。

 国史跡として生かすにはまず、西南戦争の歴史を振り返る戦場跡として地域を一体的に整備することが求められる。しかし、戦跡と戦跡が最大で4キロ近く離れ、畑や林になっている場所もあり、136年前の戦闘の実態を伝えるためには、整備手法をどうするべきか悩ましいところ。民有地の場合、土地取得も含めた所有者らとの調整も必要だ。

 今回の指定は第1弾で、両市町が追加指定を目指す残りの戦跡を加えると、区域はさらに広がる。両市町の担当者は「点在する史跡をどう結び付けて整備するかが難問。指定に向けて盛り上がった地元の熱意をどう維持していくかも含めて、これからが正念場だ」と口をそろえる。

 史跡の維持管理も課題だ。清掃などの日常的な維持管理費には国庫補助が出ないため、史跡を持つ自治体共通の問題だが、「行政だけでは限界があり、周辺住民の協力が欠かせない」と両市町。地域は自分たちで守るという住民の意識も希薄になりつつあり、史跡保存の担い手育成も急がれる。

 同協議会会長の甲元眞之・熊本大永青文庫研究センター長は「国史跡は、うまく保存活用しないと意味がない。そのためにも地元の理解と協力が不可欠。熱が冷めないうちに地元の理解とやる気を引き出す工夫を考える必要がある」と話す。

 一方、指定は、関係自治体との広域的連携の弾みにもなりそうだ。西南戦争の戦跡は県南や鹿児島、宮崎、大分に点在、戦没者遺族らは全国各地に広がる。「戦跡は、植木・玉東地域と全国各地を結ぶ格好の材料。顕彰や観光など活動の広がりが期待できる」と熊本市埋蔵文化財調査室の中原幹彦・主任文化財保護主事。今秋には国史跡指定の記念式典やシンポジウムも開き盛り上げを図るという。

 国史跡指定に向けて自治体の枠を超えた両市町の取り組みは、全国的にも注目され、10年近くかかるとされた指定を4年で実現した。地域の遺産をどのように保存活用するか、再び地域力が試される。(浪床敬子)


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