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近現代史綜合スレ

451とはずがたり:2013/05/01(水) 21:57:50

時局匡救運動 ( じきょくきょうきゅううんどう)
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n384.htm
ニューディールかファシズムへの橋渡しか

 昭和初期の金融 恐慌 世界恐慌 金解禁 恐慌をうけて政府行政側の主導で全国に展開された事業。浜口 雄幸(おさち)内閣(蔵相は 井上準之助 )による金融引締 緊縮財政 金輸出解禁のあとをうけて、 犬養毅(いぬかいつよし)内閣 斎藤 実(まこと)内閣 岡田啓介内閣三代の大蔵大臣であった高橋 是清(これきよ)が編成した膨張予算で裏付けがなされた。内務省と農林省所管の土木事業が中心であるが、都市失業者救済 農村経済更正施設 米穀貯蓄奨励 繭共同保管 義務教育費国庫負担増額 船舶改善助成 移民奨励など、広くその他の分野に及ぶ。高橋財政の2本柱は、不況対策としての時局匡救事業費と、満州事変費を中心とする軍事費であったが、この金本位停止のもとにおける財政支出拡大策については、ニューディール型へ向かう歴史的可能性を秘めたものであったとする評価と、 ファシズム 軍国主義化への手助けになったとする評価に分かれている。
〈大分県での事業〉
 大分県における時局匡救事業費の決算額は下表のとおりである。決算年次は、昭和7年(1932)から11年までの5か年にわたっているが、7年から9年までの3年間に全体の92%が消化された。合計額の720万余円は、昭和6年度大分県総決算額に近い巨額なものであった。内容的には、土木費(54.3%)と耕地拡張改良農業土木費(17.0%)が中心であるが、それぞれ少額ながら、土木 産業関係費以外のものも見られる。 別大国道拡幅工事 大分港修築工事 大野川改修工事 のいわゆる県の三大事業とともに、県下全市町村で展開された時局匡救事業は、空前の事業ブームをまき起こした。土木事業への雇用等によって県民に貴重な現金収入をもたらしたことは評価されるべきであろう。しかし、工事がにわか仕立てで粗雑なものが多く、真の産業基盤整備に結びついていないとする批判も、県議会で出されていた。
〈田口県政〉
 時局匡救運動展開期の大分県 知事 は、第29代 田口 易之(やすゆき) であった。田口以前の歴代知事は、それぞれ政友 民政(憲政)両党との結びつきが強く、就任と同時に 党色人事 を敢行、各内閣と命運をともにして来た。田口は検事畑の出身で、京都府内務部長からの栄転であったが、党派色を持たず、したがって大飛躍もなかったが一度の休職もなく、大分県知事を最後に勇退した。昭和前期の歴代大分県知事の任期が2年に達する者が皆無という状況の中で、田口はただ1人3年10か月の長期在任を誇った。在任中の事績としては、時局匡救事業のほか、 選挙粛正運動 や 広瀬神社 の創建、 松栄山(しょうえいざん) 大分県 招魂(しょうこん)社 の神苑拡張、 宇佐神宮造営奉賛会 の組織等があげられる。勇退に際しては、県町村長会や県 農会 商工会等広範な階層からの留任要請をうけた。歴史的には、田口自身もまた、ニユーディーラーかファシズムへの橋渡し者かを問われる人物といえよう。なお、7年9月の文官分限令改正法の公布もあって、田口以降は大分県でも非政党知事が続くこととなる。
〈農山漁村経済更正運動との関係〉
 時局匡救事業は一時的なものであり、 農山漁村経済更正運動 の一部としてとらえることもできる。この運動は、兵庫県農会の自力更正運動に端を発するものであったが、政府が吸収して官主導のものとなって行く。7年9月農林省に設置された経済更生部がその中枢である。7年から16年まで続くこの運動の第1期(7〜10年)「組織整備の段階」と匡救事業の施行期が重なる。時局匡救事業は、更正運動の「組織整備」に寄与し、第2期(11〜13年)の「特別助成による本格的展開」を促して行くのである。
 参考文献 吉岡健次『日本地方財政史』


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