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近現代史綜合スレ
449
:
荷主研究者
:2013/02/10(日) 12:25:47
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20130115/CK2013011502000022.html
2013年1月15日 中日新聞
松代大本営建設に海軍関与の可能性 村長の記述見つかる
故塚田伍八郎さんが公務などについて詳細に記録していた日記=長野市の長野俊英高で
旧日本軍が太平洋戦争末期、本土決戦に備えて長野市一帯に大本営や政府中枢機能を極秘移転しようと建設していた松代大本営に、海軍が関与していた可能性を示す資料が見つかった。大本営移転は陸軍主導で進み、海軍は反対していたという通説を覆す可能性も出てきた。
見つかったのは当時を記録した日記と、海軍部隊名を記した表札や食器類で、長野市安茂里小市の塚田興造さん(75)の自宅に保管されていた。終戦当時、塚田さんの祖父の伍八郎さん(故人)は旧安茂里村の村長を務めており、公務記録を日記へ詳細に記していた。
日記によると、終戦直前の一九四五年七月ごろから約一カ月間、海軍通信隊の薗田美輝中佐率いる部隊が安茂里村に駐屯し、伍八郎さん宅を宿舎や事務所として使っていた。この事実を裏付けるように「海軍薗田部隊士官宿舎」と書かれた表札や、部隊が使用した水筒などが見つかった。
薗田中佐が松代大本営建設の現場責任者だった陸軍大尉の元を訪れた記録は既に確認されており、松代地区の陸軍と安茂里村の海軍の間で意思疎通があったと推測される。当時小学一年生だった塚田さんは「海軍の兵隊さんにトラックで松代へ連れて行ってもらい、穴を掘るのを見ていた」と証言する。
塚田さん宅に保管されていた表札=長野市の長野俊英高で
松代大本営を研究している長野俊英高校(長野市)の土屋光男教頭は「当時、海軍部隊が安茂里村で地下壕(ごう)を掘っていたことが分かっているが、陸軍とも連携して本格的に大本営移転を進めていたと考えられる」と話す。
日記には他にも重要な事実が書かれている。一九四五年六月二十八日には「大本営ヨリ両将校来場アリ」と書かれており、海軍幹部が東京の大本営から安茂里村を極秘訪問したとみられる記述がある。土屋教頭によると、海軍が組織的に大本営建設へ関わっていたことを示す記述と考えられるという。
見つかった資料の一部は、塚田さんが長野俊英高校の郷土研究班に寄贈した。土屋教頭は「非常に貴重な資料ばかりで興奮している。日記を中心に解読を進め、新たな事実を発見したい」と話している。
(武藤周吉)
<松代大本営> 太平洋戦争末期、本土決戦に積極的だった陸軍を中心に国家中枢機能を移転しようと計画した地下壕群。長野市松代にある三つの山を中心に1944年11月から終戦まで工事が続けられ、地下壕の総延長は10キロ余りに及んだ。延べ300万人の住民や朝鮮人労働者が動員され、過酷な環境下で多数の犠牲者が出たと言われている。
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