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近現代史綜合スレ

448とはずがたり:2013/01/25(金) 19:42:15

> 1911年(明治44年)に第13代宮崎県知事に就任した有吉忠一は細島、内海、油津の三港を宮崎県に於ける重要港湾として改修に着手、折しも飫肥と油津とを結ぶ県営軽便鉄道と、民間事業による内海と大淀駅(現在の南宮崎駅)とを結ぶ宮崎軽便鉄道が1913年(大正2年)に開通、港湾と鉄道による物流の整備が行われた。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1047289790/6160

細島は富高・延岡地区の,内海は宮崎の油津は飫肥・吾田・油津(日南)地区のそれぞれ港湾として機能してきた様だが,細島は三菱の石油化学コンビナート構想こそ実現しなかったけど,様々な工業が立地し,日南にも王子製紙の工場が有るのに対して,内海にはそういう近代資本主義的工業は皆無である。。
因みに日向市は(富高+細島=)富島と(多分平岩+幸脇=で)岩脇との合併で成立である。富高と細島で日向ではなく富島なのか。

内海は宮崎から結構遠い上に,平野らしい平野も無さそうであるし,宮崎には結局衰退した赤江港に代わりS44に大淀川の河口港の宮崎港が開設,細島・油津に次いで重要港湾の指定を受けることになる。折角だし赤江港に改称して欲しいところだけど,赤江は大淀川挟んで南側,今の宮崎空港辺りである。因みに南宮崎は大淀である。


宮崎港
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E6%B8%AF

宮崎港(みやざきこう)は、宮崎県中央部、宮崎市高洲町・吉村町一帯にある港湾。県庁所在地の宮崎市の東岸にあり日向灘に流れる大淀川河口の左岸(北側)、一ツ葉入江に位置する河口港。1969年(昭和44年)年に開港。港湾管理者は宮崎県。1973年(昭和48年)4月16日、県内では細島港・油津港についで3番目に重要港湾の指定をうける。

沿革
当港はかつて赤江港と呼ばれ日向沿岸の要港であった。文明年間は大陸交易路に日向沿岸経由の南海路が採用されはじめると、赤江港は寄港地となったとされ、藩政期の文化年間頃から、上方交易が活発となる。当時の赤江港は大淀川河口の右岸部(南側)に位置し、飫肥藩領における東北端の地であった。明治期は大淀川水運によって内陸部(国富町本庄、宮崎市高岡町など)と結ばれていたので、宮崎県最大の河口港として栄えた。

しかし、1923年(大正12年)年国鉄日豊本線開通による輸送体系の変化、河口港の宿命である漂砂堆積による航路維持困難さに直面し急激に衰退する。1937年(昭和12年)年、赤江港から宮崎港に改称する。第2次世界大戦後、後背圏の成長に経済成長に伴い、宮崎港の浮上が求められ、1958年(昭和33年)年から改修工事に着手、1969年(昭和44年)年に一ツ葉入江に宮崎港が再生する。


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