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近現代史綜合スレ

439荷主研究者:2012/04/08(日) 16:10:17

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20120220/CK2012022002000125.html
2012年2月20日 中日新聞
金嬉老事件 寸又峡温泉の旅館閉館へ 殺人犯籠城、昭和史に残る舞台

女将「元気なうちに」

山あいにたたずむふじみや旅館。金元受刑者は左手2階に籠城した=川根本町千頭の寸又峡温泉で

 ライフル片手にダイナマイトを抱えた殺人犯が、宿泊客らを人質に旅館に立てこもった金嬉老事件から20日でちょうど44年。昭和史に残る事件の舞台となった川根本町寸又峡温泉の「ふじみや旅館」が、近く閉館する。全国のお茶の間にテレビ中継され、劇場型犯罪の走りとされた壮絶な事件。人質だった女将の望月英子さん(73)は「元気なうちがいい」と廃業を決意した。静かな山あいの秘境温泉で、老舗旅館がひっそりと幕を閉じる。 (浅野宮宏)

 ふじみや旅館は1950年、発電ダム建設に従事する技師や作業員らの簡易旅館として寸又峡で一番古い開業。62年に寸又峡温泉の開湯で温泉旅館となった。静かな温泉街と旅館を一躍、全国に広めた籠城(ろうじょう)事件は68年2月20日深夜、金嬉老元受刑者がたどり着いて始まった。

 望月さんは、寝たきりの義母を看病し、子ども3人と母屋で寝ていた。突然、夫和幸さんに起こされ、旅館2階「藤の間」に連れて行かれると、金元受刑者にすごまれた。「最初は、何がなんだか分からなかった。でも、コンロ2つを近くに置いて、どんどん炭を燃やして、炎はわあって上がってて。近くにダイナマイトはあるし、ライフルだって撃つし。子どもだけは助けたいって」

 事件は4日後の夕、金元受刑者が逮捕されようやく終わった。望月さんは少し早く22日朝、子どもと解放されたが、生きた心地がしなかったという。「あらためて聞かれると、嫌な記憶を思い出すけど、時間が解決したというか」。金元受刑者が一昨年、亡くなったこともあり、事件を静かに振り返ることができるようになった。

 18年前、和幸さんは病死。3人の子どもも独立した。旅館を手伝ってもらった妹も県外に去り、最近は事実上、廃業状態だった。望月さんは既に旅館と土地を売りに出しており、近く廃業届を出す。

 「18歳で嫁いで。こんな人生を送った人なんていないよ。未練がないといえばうそになる。ここでほとんど生きてきたんだから」と、半世紀の女将人生を振り返った望月さん。「私はもうできないから。やりたい人があれば、譲りたい。そういうのは元気なうちがいいのよ。だって、ここは温泉がいいでしょ」と寂しさを振り払うように言い切った。

金嬉老事件 1968年2月、清水市(現静岡市)のキャバレーで暴力団組員2人を射殺した金嬉老(キム・ヒロ、本名・権嬉老=クォン・ヒロ)元受刑者が、寸又峡温泉の旅館で宿泊客ら13人を人質に88時間立てこもり、在日韓国・朝鮮人差別を糾弾して社会的な関心を集めた。金元受刑者は無期懲役に服したが、仮釈放で韓国・釜山入りし、2010年3月、81歳で死去した。


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