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近現代史綜合スレ

426荷主研究者:2011/05/15(日) 13:42:48

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110507t15007.htm
2011年05月07日土曜日 河北新報
野蒜築港の遺構被災 東松島・日本初の洋式港湾計画

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津波被害を受けた野蒜築港遺構の橋の土台。左岸の3基のうち1基だけが残った=東松島市浜市

 明治政府が日本初の洋式近代港湾として、鳴瀬川河口に計画した宮城県東松島市浜市の野蒜築港の遺構が東日本大震災の津波で大きな被害を受けた。新鳴瀬川に残っていた橋の土台が流失、損壊したほか、工事で地ならしに使われたとされるローラーも失われた。市教委は実態把握を急いでいる。

 新鳴瀬川は港内への流砂堆積を防ぐため、鳴瀬川の東側に掘削された。1881(明治14)年から82年にかけて木橋が3本架けられ、橋1本につき、左右両岸にれんが製の土台がそれぞれ3基が建造された。橋そのものは後年、失われたが、土台はほぼそのまま残っていた。

 3月11日の震災では浜市地区にも津波が押し寄せ、土台がまるごと流されたり、れんがが壊れたりする被害が出た。れんがの一部は現場近くに残っているが、多くは不明のまま。当時を記念して浜市地域に置かれていた石製のローラーも流失したとみられる。

 市教委生涯学習課は「まず被害確認を急ぎたい。どうやって流失した土台を探し、復元を進めるか、見通しが立たない状況だ」と説明する。

 野蒜築港は土木学会の「選奨土木遺産」に選ばれるなど、地域のシンボル。鳴瀬川河口近くにある野蒜築港資料室も津波被害を受け、休館を余儀なくされている。

 地元住民らでつくる野蒜築港ファンクラブ事務局の松川清子さん(60)は「自分を含め多くの住民が被災した。今はまだ気持ちの整理がつかないけれど、時期が来たら津波被害と合わせ、地域の宝物である築港の歴史を伝えていきたい」と話している。

[野蒜築港]明治政府が東北地方を「富国強兵」「殖産興業」の重要拠点に位置づけ、1878(明治11)年に着工。安積疎水(郡山市)にも関わったオランダ人技師ファン・ドールンが工事を担当した。北上運河と東名運河を開削したが、84年9月の台風で突堤が流失、計画は断念された。


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