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近現代史綜合スレ

424荷主研究者:2011/02/06(日) 13:56:33

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/221784
2011年1月19日 02:01 西日本新聞
志免町・竪坑櫓 国重文指定1年 本格補修はこれから

志免町の竪坑櫓。1943年の完成から70年近くにわたり、町の歴史を見続けてきた

 志免町の中心部にそびえる「旧志免鉱業所竪坑櫓(たてこうやぐら)」(高さ47・6メートル)が国の重要文化財に指定されてから1年が過ぎた。「負の遺産」として、解体を求める声も強かったが、重文指定を経て、町は「積極的な保存」へとかじを切った。しかし、本格的な補修はこれから。具体的な活用方法の検討も4月の統一地方選で行われる町長、町議のダブル選挙後に委ねられる。

■苦肉の策で保存

 「旅行から戻って櫓が目に入ると『帰ってきたな』って思う」。竪坑櫓付近でカメラ店を営む花岡幸弘さん(72)はしみじみと話す。花岡さんは閉山間際の1962年まで、4年間櫓の上で地下から鉱員や石炭を上げ下げする巻き上げ機を操作していた。

 店には、鉱業所稼働時と閉山後の町の航空写真が並ぶ。様相の全く違う2枚の写真で共通するのは、竪坑櫓。町の変遷を見続けてきたことを物語っている。

 また、丘の上にあり、町内のあらゆるところから見える「町のランドマーク」と南里辰己町長。竪坑櫓はまさに、町のシンボル的な存在といえる。

 しかし、志免鉱業所の閉鎖(64年)後、竪坑櫓は消極的な言葉で語られてきた。「暗い炭鉱時代を思い起こさせる負の遺産」。住民の間では、こんな声が大勢だった。21世紀に入り、日本の産業発展を象徴する「近代化遺産」に注目が集まる中、竪坑櫓にも保存の要望が寄せられるが、財政的な負担への反対意見は多かった。

 このため“苦肉の策”として町は、2006年に竪坑櫓の半径40メートルをフェンスで囲み、安全を確保する一方、櫓本体には手を加えない「見守り保存」をしてきた。ただ、結果として閉山から現在まで40年以上、櫓には、本格的な補修がなされない状況が続くことになってしまった。

■住民の力に期待

 そうした中での09年12月の国の重文指定だった。「日本建設技術史上、価値が高い」との国のお墨付きに町は方針を転換。南里町長は昨年12月の議会で「見守り保存から活用保存へシフトする必要があるのではないか」と言及した。

 とはいえ、補修だけで億単位の経費がかかる。重文の補修費は国と県が6割を負担するが、それでも町は4割の負担を迫られる。とりあえず町は、11年度以降の予算で、強風などではげ落ちが激しいコンクリートの補強費を計上する予定だが、最終的な補修費として、少なくても数千万円の地元負担を強いられる可能性があるという。

 こうした事情もあって南里町長は「住民の力も借りて、櫓の付加価値を向上させたい」と期待する。

 05年に櫓の保存を要望する署名運動をした「志免立坑櫓を活かす住民の会」は毎年、櫓のライトアップイベントなどに取り組む。古庄信一郎会長(63)は「粕屋地区の財産である櫓を地元の商工、観光に生かす方策を考える時期」と意気込む。「旧志免鉱業所の歴史を学ぶ会」は、櫓をはじめ志免鉱業所の歴史を伝えるボランティアガイドを養成。森内平会長(75)は「説明を聞くことでより深く知ってもらう。地道に続けたい」としている。

■「先走りを心配」

 重文指定以降、竪坑櫓に関しては「エレベーターで屋上に行けるようにしては」「近くに物産館を」という町の活性化につなげようという意見が上がるものの、活用方針をめぐり意見は一様ではない。「保存計画を置き去りにして、活用のアイデアばかりが先走るのは心配」という声もある。

 炭鉱に詳しい東定宣昌・九州大名誉教授(68)=エネルギー産業史・石炭産業史=は「地元に愛されない文化財は長生きしない。地元が納得した方法で、自らの古里を確認できる場として残されるのが大切」と指摘する。

=2011/01/19付 西日本新聞朝刊=


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