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近現代史綜合スレ

392荷主研究者:2010/05/07(金) 00:18:11

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/miyagi/news/20100426-OYT8T00105.htm
2010年4月26日 読売新聞
「尚和会」実態明らかに 東北大
大戦直前の1936年誕生 左翼学生再教育の場 

謎の団体だった「尚和会」についての新聞記事をみる柳原教授

 大戦が起きる直前の1930年代後半の不穏な時代の中にありながら、東北大で輝かしい青春の記憶として語り継がれる学生団体「森鴎外の会」。最近、鴎外会の前身だった謎の組織「尚和(しょうわ)会」の実態が、当時の新聞記事などから明らかになり、鴎外会設立の経緯なども浮かび上がってきた。(岡本公樹)

 鴎外会については、会報や回顧録などでその内容や活動について記録されていたが、尚和会については手記などが存在せず、設立された経緯や理由、内容の手がかりも見つかっていなかった。

 東北大百年史編纂の一環として、戦前の大学史を研究していた同大文学部の柳原敏昭教授が、鴎外会を調べていると、見慣れぬ名前の団体「尚和会」の存在に気付いた。

 教授の依頼で、同大百年史編纂室の中川学講師が、大学の資料室を探すと、埃をかぶっていた資料の山から、読売新聞をはじめとする尚和会についての新聞記事のスクラップを発見した。

 当時の日本は、治安維持法(1925年)などで共産主義者らを厳しく弾圧。30年代には、東北大でも左翼活動をした学生が大量に検挙、退学させられた。彼らが復学するための「再教育」の場として36年に作られたのが、尚和会と判明した。

 記事には、学生たちが「自主的」に設立したとあるが、実態は治安当局が主導したもので、会に参加することが復学の条件となっていたという。

 この会は、左翼運動家を監視する保護司制度ができたことでわずか10か月後に解散。翌37年、入れ替わるようにできたのが鴎外会で、尚和会の趣旨を引き継ぐものとして、思想犯担当の検事が、太田正雄・医学部教授(当時)に設立を依頼した。

 だが、文学者「木下杢太郎」のペンネームを持ち柔軟な思想だった太田は、「換骨奪胎」(柳原さん)して、森鴎外の作品の輪読などを自由な雰囲気の中で行った。この風通しの良さが学生たちの忘れられない青春の思い出として語り草になったとされる。

 柳原教授は「思想を上から一方的に修正する尚和会があったからこそ、多様な思想や文化を学ぶことで自分を見つめ直させる鴎外会が輝いて見えたのではないか」と話している。


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