したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

近現代史綜合スレ

384荷主研究者:2010/04/10(土) 17:01:14

http://www.kahoku.co.jp/news/2010/04/20100403t13014.htm
2010年04月03日土曜日 河北新報
魯迅直筆の書幅を東北大に寄贈 参院議員高良とみさん遺族

魯迅の書幅を東北大に寄贈する高良真木さん=神奈川県真鶴町

 仙台で留学生活を送った中国の文豪・魯迅(1881〜1936年)の書幅(掛け軸)が、留学先の仙台医学専門学校(現東北大医学部)の流れをくむ東北大に寄贈されることが固まった。東北大には直筆の史料が残されておらず、魯迅の顕彰に弾みがつくと期待されている。

 書幅は、男女同権や平和運動に取り組み、戦後に初の女性参院議員の一人となった高良(こうら)とみさん(1896〜1993年)のため、魯迅がしたためた。とみさんの長女で画家の真木さん(79)=神奈川県=と、次女で詩人・評論家の留美子さん(77)=東京都=が大切に保管してきた。

 とみさんは31年9月に起きた満州事変に反対し、中国の知識人と話し合おうと32年1月、上海に渡った。日中文化人のサロン的存在だった上海内山書店の店主内山完造(1885〜1959年)に魯迅を紹介された。

 魯迅は当時の国民党政府に反体制的と目されて追われ、日本人にかくまわれていた。魯迅はとみさんと会食し、政治談議は避けつつ、日本時代を懐かしんだ。魯迅は10日ほどして書幅を記し、内山に託してとみさんに贈ったとされる。

 書幅には、1句7字の4句で起承転結を成す七言絶句の漢詩が書かれていた。前半は中国の人民が払う犠牲への祈り、後半は国難への対処を欠く国民党政府に対する風刺と解釈されている(高田淳「魯迅詩話」中公新書)。

 真木さんと留美子さんは昨年、とみさんと親しかった日中友好協会の関係者の打診を受け、東北大への寄贈を決めた。真木さんは「初対面の母に魯迅が書幅を贈ったのは、進むべき道を共有できたからだろう」と推し量る。留美子さんは「母の足跡や時代背景を含めて理解してほしい」と望んでいる。

 阿部兼也東北大名誉教授(中国文学語学)は「かつて国内には魯迅の書や手紙が少なからずあったが、多くは日中親善のため中国に贈られ、直筆のものは少ない」と学術的にも評価する。

 東北大の北村幸久副学長は「大変ありがたい。展示や保存の方法を工夫し、しっかりと後世へ伝えたい」と話している。

[満州事変] 1931年9月18日、中国東北部(満州)で日本の権益を代表した南満州鉄道(満鉄)の線路を、日本の軍隊である関東軍が爆破した。関東軍は中国側の仕業として満州全域へ軍事行動を広げ、後の日中全面戦争への転機の一つとなった。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板