したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

近現代史綜合スレ

374名無しさん:2010/03/17(水) 15:56:16
>>373
◇「株式会社日本」をつくった水面下の実力者、瀬島龍三氏とは

戦後の日本が旧日本帝国軍隊の組織をモデルに日本総合商社をつくっていく過程を描いた小説「不毛地帯」(1976年、新潮社)の主人公のモデル。 この小説は最近の人気ドラマ「白い巨塔」の原作者、山崎豊子氏(82)の代表的な小説だ。 日本陸軍士官学校を次席、陸軍大学を首席で卒業した瀬島氏は大本営(戦時最高統帥機関)陸軍部作戦課主任を経て、1945年7月、満州駐屯関東軍の参謀になったが、「手に余る戦い」として日本の拡戦に反対した。 前線でソ連軍に捕まった瀬島氏は11年間、シベリアで捕虜生活を送り、44歳で帰国した。

瀬島氏は「商社マン」に転向した。 47歳の時、伊藤忠商事航空機部次長となり、その後、軍需事業、石油事業、世界的な戦略的提携事業に飛び込み、次々と成功を収めた。 そして20年後、会長に就任した。 全盛期の瀬島氏は伊藤忠以外にも89の肩書があった。 こうした人脈と実戦経験は、瀬島氏が国家経営の水面下の戦略家になった資源だった。 60年代には「日本株式会社」をつくり、70年代に入ってからは経済開発に拍車を加えた韓国の政界・財界にアイデアを提供した。

82年11月に中曽根康弘首相が就任した後、韓日教科書問題が浮上した。 これをきっかけに瀬島氏は韓国を秘密裏に2度訪問し、全斗煥(チョン・ドゥファン)当時大統領と朴泰俊(パク・テジュン)氏、権翊鉉(クォン・イクヒョン)氏に会った。 戦後の日本首相の初めての韓国訪問を実現させるためだった。 この過程で日本が経済協力資金40億ドルを韓国に支給する‘取引’を実現させる役割をした。 当時の夕食会で中曽根首相が全体の3分の1を韓国語で演説したこと、2次会で韓国語で「黄色いシャツ」を独唱したのも瀬島氏の演出だったという。

瀬島氏はその後も日本電信電話公社(NTT)民営化改革作業を総括指揮する一方、中曽根・竹下政権で行政改革と教育改革の司令官の役割を果たした。 瀬島氏の戦略家的思考は日本経済政策の精神になった。 次は80年代の瀬島氏の発言だ。

「今後の大きな方向性は‘太平洋の時代’だ。 日本という国は世界から8億トンの原資材を輸入し、それを8000万トンの製品に加工して輸出しながら生きていく国だ。 したがって日本の生存条件は2つある。 まず、われわれが貿易をできるよう世界が平和かつ安定しなければならない。 二つ目は、製品を作るために高度の教育を受けた人材がなければならない。 こうした生存条件を満たせなければ、いかなる政策も無駄になるだけだ」。

瀬島氏は昨年まで日本国内の民間専門家らが設立した「日本戦略研究フォーラム」の会長を務め、国家戦略を説破した。 「日本右翼勢力の精神的支柱」「黒幕」という暗い評価もあるが、瀬島氏が「日本繁栄の策士」だったことには間違いない。


Copyright 2007(C)JOONGANGILBO NEWS. All rights reserved.
2007/3/26 16:57 入力


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板