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近現代史綜合スレ

366名無しさん:2010/03/10(水) 09:33:07
山本五十六の大罪#52(本論) - 木庵先生の独り言 - Yahoo!ブログ
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木庵先生の独り言 一言メッセージ :アメリカ在住、比較文化論

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2010/2/12(金) 午前 1:37山本五十六の大罪歴史 Yahoo!ブックマークに登録
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山本五十六の大罪#52(本論)
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山下奉文を窮地に追い込む、大本営・陸海の共同謀議
3、 堀栄三は、出張命令により、13日夜の電報を打った後、山下奉文の方面軍司令部に到着した(10月16日)。それが、突然、大本営参謀を一時的に解職となり、山下奉文の司令部に配属となった(10月27日)。表向きでは「山下奉文が欲しがったから」との噂を流したが、実際は、参謀本部が唐突に行った追放人事である。この27日、事前の内示もない辞令を突然に受けて堀は戸惑い驚いた。
堀が東京に戻れば、瀬島の“電報にぎり潰し”がばれるので、陸軍省・参謀本部にまたがって大細胞に膨れ上がっていたGRU組織としては“堀の口封じ”をしたのである。レイテ島が玉砕し、ほとぼりの冷めた翌1945年1月末、堀を大本営陸軍部の情報部に戻した。瀬島のモスクワからの帰国が2月11日頃と余りに遅かったのは、ソ連軍の満州・樺太侵攻の作戦策定に「ソ連人」として瀬島が参加していたからとしても、堀の東京戻りの後にする狙いもあったろう。
4、 堀に加えて、参謀本部作戦課の杉田一次まで、わざわざルソン島に滞在させる必要はあったのか(10月19日〜11月15日)。レイテ島作戦に反対する山下奉文を監視する為だったのが、瀬島の悪事を気づいて暴く能力のある参謀は杉田しかいないから、杉田の"一時追放"だったと考えられる。当時の参謀本部で、「情報分析屋ベスト・ツー」杉田、堀の二人がいなければ、作戦課は、米軍の動向に関して出鱈目な状況を設定して好き放題の作戦命令ができる。
5、 海軍は、台湾沖航空戦の誇大な嘘戦果を、なにも10月14日〜16日に発表して、嘘の上塗りをする必要はない。それは、「撃沈は空母8隻、巡洋艦3隻、撃破は空母7隻、戦艦1隻、巡洋艦2隻・・・」と超誇大な嘘を並べたものであった。
瀬島は、海軍軍令部とのリエゾン将校であった。捷一号担当の作戦参謀でもあった。海軍の方では瀬島を、海軍の作戦参謀と同格に扱っていた。瀬島はいろんな工作を海軍に働きかけていただろう。このレイテ湾沖海戦の嘘戦果発表が瀬島と無関係とはいえない。
また海軍内部では、21日頃には、台湾沖航空戦で発表したのは嘘戦果だと気づき、米内海軍大臣ですら知るところであった。それを訂正もせず、27日に、新たな超誇大虚報を発表した、現地の山下奉文がレイテ島作戦を放棄するのを阻止するためでもあったろう。
6、 この27日、現地も報道で知っている、海軍の十八番「敵機動部隊が殆ど壊滅的打撃を受けたる疑いなく戦局は大局より観て我に有利・・・」との電報を、不必要にも、山下奉文の臨時側近となった杉田一次あて、参謀本部作戦課長(服部卓四郎)が送っている。27日はまた、堀の一時追放の辞令が突然言い渡された日で、堀にとって忙しい、この10月27日、「堀」の名前で、堀はそんな情報を持っていないのに、レイテ湾沖海戦の戦果についてほぼ官軍の公表どおりの嘘数字を情報部長宛に打電している。10月27日に集中して、工作めいたことが同時に起こったのは、これらが「服部ー瀬島」が実行した謀略工作だからである。


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