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近現代史綜合スレ

314とはずがたり:2009/09/01(火) 10:22:28
【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦 「リベラル政権」の桎梏忘れるな
2009.9.1 02:58
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/090901/stt0909010259002-n1.htm

 ≪政策変更には長大な時間≫

 「一利を興すは一害を除くに如かず。一事を生(ふ)やすは一事を省くに如かず」という政治の要諦は、ジンギスカンに仕え、ユーラシア大陸空前絶後の大帝国である元帝国の基礎を築いた大宰相、耶律楚材(やりつそざい)の千古の名言である。

 民主党新政権の発足を控えて、私がこの言葉を引用したいのには二つの理由がある。一つは過去のリベラルな政権が遺したものが長く日本国民の桎梏(しっこく)となった例があまりに多いからである。

 民主党がリベラルな政権であるかどうかは今の時点ではよく分からない。ただ、民主党の中には左翼リベラルの流れを汲む人々が少なくないのも事実である。

 戦後日本でリベラルあるいは左翼的な政権と言えば、三木、細川、村山、宮沢各内閣であろう。

 三木内閣の残したものの中で、F−4戦闘機から空中給油能力を外したのを復元するのにはF−15の発注まで待たねばならなかった。防衛費の1%の枠を外すのには中曽根内閣まで10年を要した。武器輸出三原則の拡大解釈は三十余年を経ても今なお日米同盟の障害である。

 また、三木総理が自分の靖国参拝を「個人の資格」でと言った結果、天皇の行事には公私の区別をつけるのが難しいので、戦没者慰霊のために戦後欠かさず続けられていた天皇陛下の靖国参拝がそれ以来妨げられている。それは、韓国、中国の反対で靖国が国際政治問題化する10年前の話である。

 ≪「自民党単独」の残滓も≫

 細川内閣はさして負の遺産は残していない。1994年の北朝鮮核危機で日米間に不協和音が生じる恐れがあったが、内閣は自ら退陣して同盟の危機を避けた。それはそれなりに日本の国益に沿った立派な出処進退だったと思う。

 村山内閣が、国会の多数の支持もないまま、一方的に発した村山談話が、その後日本外交に及ぼした足かせについては今更言うまでもない。

 他に鈴木政権の教科書問題の時の宮沢官房長官談話、そして宮沢内閣の時の従軍慰安婦に関する河野談話は長く傷痕を残した。


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