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近現代史綜合スレ

301とはずがたり:2009/03/31(火) 03:13:41
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1194191152/83-84で出てきた高峰譲吉。
凄いですねぇ〜。
それにしても加賀藩典医の家の出とは知らなかった。

“三共の初代社長”―高峰譲吉―
http://www.geocities.jp/kazumihome2004/13-5.html

 高峰譲吉は近代資本主義の二つの神器、科学技術と産業をともに手にした最初の日本人である。研究開発が産業と結びつけば、巨大な富を生むことを実証して見せた。三共の初代社長にして、二十世紀初頭の世界をリードした高峰は、政府役人、科学者、実業家、“日米親善特使”の四つの顔を駆使した。米国人女性と結婚し、日米の融和に尽力した国際人でもある。その独創を支えたのは、粘り強い知的探究心と、臆することなく世界と向き合う「志の高さ」ではなかろうか。


1854 加賀藩典医・高峰精一の長男として、現在の富山県高岡市に生まれる
1862 金沢の藩校、明倫堂に8歳で入学
1865 長崎留学、英語を学ぶ
1868 京都の兵学塾、大阪の緒方塾に学ぶ
1869 大阪医学校・大阪舎密(せいみ)学校入学
1873 工部大学校(現・東大工学部)に入学、応用科学を専攻
1880 英国留学
1884 帰国後、米国ニューオーリンズ万博に事務官として出張、キャロライン・ヒッチと婚約
1885 特許局長代理
1887 キャロラインと結婚、人造肥料会社を興す
1890 高峰式元こうじ改良法で特許。米国移住
1892 高峰式のウイスキー製造実験に成功
1893 モルト業者が強く反発、工場が全焼。肝臓病で重体に
1897 米パーク・デービス社と消化酵素タカヂアスターゼの製造開始
1899 日本での同酵素製造販売のため、三共商店(現三共)を設立
1901 上中啓三とともに、アドレナリンの抽出に成功
1921 ワシントン平和会議の事前パーティなど、日米の融和に奔走
1922 7月22日、68歳で死去

以下略


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