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近現代史綜合スレ

297とはずがたり:2009/03/23(月) 15:57:39
小説「大菩薩峠」から宮沢賢治,赤軍派迄。

大菩薩峠の歌
http://www.ihatov.cc/song/bosatsu.html

 中里介山の未完の小説「大菩薩峠」は、原稿用紙にすれば13,000枚にもなるかという記録的な長編で、「日本一長い小説」とも「世界一長い小説」とも言われます。

 その物語は、武蔵と甲斐の国境にある大菩薩峠の頂上で、机龍之助という一人の剣士が、通りかかった老巡礼を無惨に斬り捨てる場面から始まります。この「動機なき殺人」によって、龍之助は血と欲望にいろどられた終わりのない旅を彷徨う宿命を背負いました。
 時は幕末、その後の龍之助は京で新選組と大立ち回りを演じたり、天誅組の蜂起に加わって失明したりしますが、盲目になることで彼の「音無しの剣法」はますます冴えわたります。善や悪などという観念を超出していくヒーローの魔剣は、さらに多くの人々の血を浴びつづけていくのでした。…

 ここに広がる情景は、私たちがイメージする宮澤賢治の作品世界とは、よほど異質で対極的なものに感じられますから、彼がこの「大菩薩峠」の愛読者であったと聞くと、かなり意外な感じもします。しかし、賢治の初期短篇の中には、何となくこれと相通ずるような劇画調のタッチの作もあり、彼もどこかには、このような世界への親和性を持っていたのだろうと思います。
 何よりも、作者の中里介山は、仏教とりわけ田中智学の主導する国柱会の日蓮主義に強く傾倒していたと言われています。また田中の方も、この小説が世に出た当初、各所でこれを賞賛し推奨していました。したがって、ひと頃の賢治――田中智学に心酔し、文学によって国柱会に貢献しようと決意していた――にとっては、当然この小説は必読の文献だったに違いありません。

 それにしても、読んだ小説をもとに自分で詞と曲を作り、歌曲にして唄っていたというのは、賢治としてもこの物語によほど何かの思い入れがあったのでしょう。…

  さて時は変わって、机龍之助の時代から100年後、また「大菩薩峠事件」と呼ばれる出来事が起こります。
 全共闘運動が敗北した1960年代終わり、最も暴力的な路線をとっていた共産同赤軍派は、「前段階武装蜂起」のための軍事訓練をこの大菩薩峠で行っていました。内偵を進めていた警視庁と山梨県警は、彼らの集結していた山荘を包囲して、最高幹部ら53名を逮捕します。
 この後、追いつめられた赤軍派はますます武器への固執を強めて連合赤軍を結成し、やはり中部の山岳地帯において、組織内部の連続リンチ殺人から「あさま山荘事件」を経て、崩壊へと進んでいったのです。
 机龍之助にしても連合赤軍にしても、暴力に魅入られた人間が歩もうとする道筋は、私たちに強い印象を与えます。また両者のその「修羅」のような行状が、「菩薩」という名を冠した地点で繰り広げられるアイロニーは、何か仏教的な「業」を連想させずにはおきません。
 中里介山がこの小説を形容した言葉で言えば、これはまさに「カルマ曼荼羅」です。


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