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近現代史綜合スレ

296とはずがたり:2009/03/01(日) 01:08:19

半世紀前の京都知事選「大連立」工作の証拠か 側近?のメモ見つかる
2009.2.28 01:37
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090228/lcl0902280143002-n1.htm

 高度経済成長期を中心に京都府で7期28年にわたって知事を務め、革新府政時代を築いた故蜷川虎三氏が知事室に残した資料から、蜷川氏3選時の昭和33年の知事選の前に書かれたとみられるメモが見つかった。本来、蜷川氏の対立軸となる自民党側の動向に関する記述で、支持基盤の社会党と自民党が手を組み、無投票3選をもくろんだことをうかがわせる内容。同年には「55年体制」後初の衆院選が行われており、中央で自社2大政党化が進む中、京都では「大連立」が工作されたことをしのばせる興味深い資料となっている。

 メモは、府立総合資料館(京都市左京区)が保管していた。「知事選」と鉛筆で書かれた茶封筒の中に、昭和33年の知事選のスクラップや政見放送時の原稿とともに入っていたという。

 同年4月に行われた知事選は、社会のほか自民からも初めて推薦を受けた蜷川氏が、共産公認、保守系の2候補と対決。70%近い得票率で圧勝した。

 B5判の原稿用紙4枚のメモは手書きで、推薦の構図が決まる少し前に書かれたとみられる。「高山市長より午後三時前に電話があり…」という書き出しで、蜷川氏の側近が「至急耳に入れておきたい件あり」として当時の高山義三・京都市長から呼び出され、伝えられた話を書きとどめ、蜷川氏に渡したとみられる。

 メモには「『社会党推薦』に対する態度は今暫(しばら)く保留して頂き、自、社の『共同推薦』の形ではなく『無選挙』の方向にもってゆきたく思う。又その可能性も高い」と記載。高山氏が、自民党が独自候補を立てない確約を得たことをにおわせる内容で、さらに「東京へは是非行ってほしい。中央との話は出来ている」とし、蜷川氏自ら自民党本部へ行くよう促すような記載もある。

 また、反蜷川派の自民関係者が独自候補の擁立に動かないよう、後に衆院議長となる前尾繁三郎氏のビッグネームを利用したことをうかがわせる記述も。知事選の対立候補として前尾氏の名前がうわさされることについて「泡沫候補を封ずる為の作戦に過ぎない」とし、「絶対出ない者(前尾氏)を看板にしていくのだ」と、周到な戦略ぶりをうかがわせている。

 また「四月解散間違いなし(中略)そのおつもりでやって頂きたい」という記述も。実際、知事選のわずか2週間後には岸信介政権下で「話し合い解散」が行われており、5月の衆院選で自社が全議席の97%を占め、2大政党化が進んだ。

 当時を知る共産党関係者は「高山氏が東京を訪れ、自民党本部から独自候補を擁立しないという確約を得ていたといううわさは当時からあった。それを裏付ける内容だ」と話している。


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