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近現代史綜合スレ

288小説吉田学校読者:2008/10/24(金) 08:56:20
歴史の小さな一ページの一こまが変わるかもしれない。成田市の調査に期待する。

皇室用の防空壕?
http://mytown.asahi.com/chiba/news.php?k_id=12000000810230002

 成田市三里塚御料の三里塚記念公園に、地元で皇室用ではないかと伝えられる防空壕(ごう)が残っている。市によると、市にも国にも記録はなく謎のままになっていた。市は21日から地元からの要望を受けて内部の調査を始めた。(的場正)
 記念公園は、成田空港の建設前は宮内庁の御料牧場の一部だった。防空壕は皇族の宿舎などに使われた貴賓館の北に位置し、中央の部屋は深さ5〜6メートルのところにある。広さは6畳ほどで、天井の高さは約2・5メートル。壁はコンクリートで、出入り口は東西に2カ所。それぞれ厚さ約20センチの扉が二重になっていて、その外側に南北へ抜ける幅約1メートルの通路がある。いずれも部屋から見て左側にだけ階段が付いていて、階段の側を出入り口として使い、反対側は近くに爆弾が落ちた時に爆風が吹き抜けるようにしていたと考えられている。
 中央の部屋には電灯が付いていた跡やコンセントが残っている。防空壕の入り口付近にある配電盤には「昭和16年」の文字があり、1941年ごろに建設されたと考えられている。コンクリートの壁には69年の牧場移転後に書かれたらしい落書きもあったが、表面は建設されたときからほとんど劣化していないように見える。
 調査の様子を見ていた地元の人によると、地元では皇室用と考えられていた。「秘密の防空壕」と呼ばれ、御料牧場の関係者は「お文庫」と呼んでいたという。中央の部屋には畳が敷かれていたが、戦後は牧場でとれたサツマイモやジャガイモの貯蔵庫に使われていたらしい。
 2・9ヘクタールの公園一帯は国有地で、市は牧場の事務所棟を「御料牧場記念館」として、貴賓館とともに管理している。だが、防空壕は国にも記録がなく、これまで調査はされていなかった。今回、市が国に調査を申し出たところ、初めて認められたという。
 この日、中に入った小泉一成市長は「当時の最高の技術と材料が使われ、保存状態も想像以上に良かった。貴重な歴史的建造物を一人でも多くの方にみていただけるよう、一般公開に向けて努力します」と話した。


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