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近現代史綜合スレ

27とはずがたり:2004/10/16(土) 12:21
大町に疎開の「木崎会」が最後の里帰り
http://mytown.asahi.com/nagano/news02.asp?kiji=4755

 第2次世界大戦末期に東京都世田谷区から大町市の木崎湖畔に疎開した児童でつくる「木崎会」(約80人)が結成20周年を迎え、32人の会員がこのほど、大町市などに12回目の「里帰り」をした。里帰りのたびに老人ホームへの慰問や祭りへの参加を続け、世田谷区の区民まつりに同市の特産品の出展を持ちかけるなど、自治体を結ぶ橋渡し役も果たしてきたが、会員の高齢化などを理由に会としての里帰りは今回が最後になるという。

 木崎湖畔には44年8月から45年11月にかけて、世田谷区の多聞、祖師谷、塚戸、砧の4国民学校の児童延べ500人近くが九つの民宿に分宿する形で疎開していた。木崎会は84年、「40年ぶりの里帰り」を機に発足し、おもに隔年で里帰りを続けてきた。

 里帰りのたびに、「当時お世話になった感謝の気持ちを表そう」と、市内の養護老人ホーム「鹿島荘」を慰問し、寄付金を贈ったり、会員がダンスを披露したりするなどして交流を進めてきた。寄宿先の民宿は代替わりがあるものの、同世代の経営者やおかみさんたちと旧交を温めている。

 先月末の2泊3日の里帰りでは、結成当初の高橋恭男元市長や市幹部らを招いて、湖畔の温泉施設で20周年記念パーティーを開いた。席上、腰原愛正市長から「市と区の橋渡し役に尽くした」などとして、感謝状などが贈られた。45年5月から第3次の疎開先になった北安曇郡白馬村の旧神城国民学校(現白馬南小学校)なども巡った。

 会は、当時の6年生らが中心になって結成され、70歳前後の人たちがほとんどという。会長の阪上順夫・東京学芸大名誉教授(72)は「私たちもいつの間にか老人ホームにお世話になる世代になった。会としては最後だが、元気な者同士、声を掛け合って里帰りを続け、区と市の交流も続いてほしい」と話した。

 疎開当時、砧国民学校5年生だった浜砂和子さん(70)は「冬に軒先のつららがどんどん大きくなるのにびっくり。ガラス戸のない破れ障子から吹き込む風が冷たかったけど、全面結氷した湖面でげたスケートをしたり、氷がせり上がる御神渡り現象も見られたりして楽しかった」などと、思い出話に花を咲かせていた。

(10/15)


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