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近現代史綜合スレ

257とはずがたり:2008/08/13(水) 18:38:39

終戦直前の東条手記 「内閣、国民に嘆息」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080813-00000060-san-soci&kz=soci
8月13日8時0分配信 産経新聞

 太平洋戦争開戦時の首相だった東条英機陸軍大臣が、終戦直前の緊迫した情勢の中で心情をつづった手記が国立公文書館(東京都千代田区)に所蔵されていることが12日、わかった。

 昭和20年8月10日から14日の間に書かれたもので、昭和天皇が臨席された10日の重臣会議の記述から始まる。東条元首相は政府がポツダム宣言受諾を決めたことについて、11日に「新爆弾に脅(おび)え、ソ連の参戦に腰をぬかし一部条件を付し在りといえども、全く『敗戦者なり』との観念に立ちたる無条件降服を応諾せりとの印象」と政府の“弱腰”を厳しく批判している。

 13日には「もろくも敵の脅威に脅え簡単に手を挙ぐるに至るがごとき国政指導者及び国民の無気魄(きはく)」に嘆息を漏らし、自身の責任に言及する。そして14日には首相時代の秘書官にあてて「大義に殉ぜる犠牲もついに犬死に終らしむるに至りしことは前責任者としてその重大なる責任を痛感する。事ここに至りたる道徳上の責任は死をもっておわび申上ぐる」と自決の覚悟を記している。

 東条元首相は同年9月にピストルで自殺を図るが一命を取り留め、東京裁判で絞首刑判決を受けて、23年12月に刑死した。手記は東京裁判で東条元首相の弁護人を務めた清瀬一郎弁護士が法務省に寄贈した裁判資料の中にあった。

 小堀桂一郎・東大名誉教授の話「生々しさはあるが、新たな発見はこれといってない。ただ興味深かったのは、東条さんのような地位にあった人でも、ポツダム宣言の条件を無条件降服だと思い込んでいたこと。国際法の厳密な解釈ができていないことが随所にうかがえる。また、全面的な武装解除を履行すれば国体の護持はできないという認識は正しく、この点はさすがに軍人だと感心した」


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