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近現代史綜合スレ

252とはずがたり:2008/02/28(木) 22:13:34
私は日本の民主主義社会の原点を室町・戦国期の町衆や国人らの自治に求めていて,南山城の国一揆や加賀の一向一揆(専門のウェブサイト迄みつけた http://rokuro.at.infoseek.co.jp/ )を高く評価してるけど,明治体制下のこの富山県の米騒動の震源地ぶりもなかなか評価できるぞ!
なんでも一番有名な1918年以外にも大きな物は3度あったそうだが,いずれも富山県がきっかけになっちょる。最近では自民党の金城湯池になっちまたが農地解放前迄は庶民の不満のポテンシャル高かったのか。

米騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

米騒動の発生契機としては凶作による米不足や米価格の暴騰が直接的な要因になる事が多い。一般に「米騒動」とのみ呼称した場合は、大正時代の1918年に発生したものを指す。しかし、単純な「米価格の暴騰に伴う民衆暴動」という定義の騒動は江戸時代の享保の大飢饉の頃から幾度となく発生しており、明治維新以降で全国規模にまで発展した米騒動は1890年、1897年、1918年の3度を数える。
1890年の米騒動
1890年1月18日、富山県富山市において市民による市役所・資産家に対する救助要請運動が始まったのをきっかけとして、同年4月から9月にかけて鳥取県、新潟県、福島県、山口県、京都府、石川県、福井県、滋賀県、愛媛県、宮城県、奈良県など19箇所において騒動が発生した。特に新潟県佐渡市相川町では6月28日から7月5日にかけて鉱夫を中心として2000名以上が蜂起し、軍隊の出動をもって鎮圧する事態にまで発展している。[要出典]
1897年の米騒動
1897年5月下旬の富山県魚津町での騒動をきっかけとして始まった騒動で、同年8月から10月にかけて、石川県、長野県、山形県、新潟県、福井県など10箇所において発生した。最も大騒動となったのは長野県飯田町の騒動で、9月1日から9月3日の3日間で約2000名の民衆が暴徒と化し、米問屋や警察署などを襲撃する事態に至った。[要出典]
1918年の米騒動
1918年7月下旬から9月にかけて、富山県魚津町を中心にして参加者100万人を超える全国規模の民衆暴動へ発展した事件。本項次節以降で詳述する。


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