したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

近現代史綜合スレ

213とはずがたり:2007/06/23(土) 18:34:22
こうやって政権側に都合の悪い歴史は消されて行くんだな。

沖縄:教科書検定問題で記述の復活はしない考え…安倍首相
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070623k0000e040086000c.html

 安倍晋三首相は23日午後、沖縄県糸満市の平和祈念公園で行われた沖縄全戦没者追悼式に出席後、記者団の質問に答え、文科省の教科書検定意見で、集団自決を巡る日本軍の強制性の記述が削除された問題について「教科書検定調査審議会が学術的観点から検討している」と述べ、記述の復活はしない考えを示した。ただ、首相自らが軍の関与をどう認識しているかについては言及を避けた。【三森輝久】

毎日新聞 2007年6月23日 15時31分 (最終更新時間 6月23日 16時19分)

沖縄:教科書検定、国と溝 「自決強制」目撃の女性に怒り
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20070623k0000e040055000c.html

 「日本軍がいなければ自決なんかしませんよ」。平和の礎(いしじ)に刻まれた親せきの名を前に、沖縄県南風原(はえばる)町の仲程(なかほど)シゲさん(77)は悔しさをにじませた。その額には62年前、沖縄戦で受けた艦砲射撃の砲弾の破片とともに、集団自決や日本兵による住民虐殺のいまわしい記憶が刻まれている。

 当時、本島南部の大里村(現南城市)に住んでいた仲程さんは、戦火が迫った5月28日、母カマさん(49)と13歳、10歳の弟、そしておじ、おばら計13人で南へと避難を始めた。6月19日、隠れていた糸満市真栄里のガマ(壕(ごう))に米軍の戦車が迫った。

 沖縄守備軍が現地で召集した防衛隊から逃げてきたおじが言った。「アメリカーにやられるより、自分で死んだ方がまし」。手投げ弾を持っていた。それを見たカマさんがおじの手に取りすがった。

 「いくら何でも生きている子供たちをなぜ殺せるか。まず待ちなさい」。子を持つ母親の訴えにおじは思いとどまった。

 夜、再び南へ。火炎放射器で焼き払われていた米須(こめす)集落で、激しい艦砲射撃に襲われた。おばがうめいて倒れたが、暗闇でどこをけがしたのかわからない。カマさんが「姉さん、恨まないでね」と額に手を当てると、息を引き取った。足の肉をえぐりとられて倒れたおじは「戦争が終わったら遺骨を取りにきてくれ」と言った。残していくしかなかった。

 翌日、隠れていた摩文仁の山中で砲弾がさく裂。仲程さんの額に破片がめり込んだ。さらに次の日、一人の沖縄の青年が、隠れている住民に呼びかけた。「アメリカの捕虜になったほうがいい。みんなで出て行こう」

 すると2人の日本兵が走り寄り「こんなバカがいるから沖縄は負けるんだ」と言い放つや、日本刀で青年の首を切った。

 怖くなって下りた摩文仁の断崖(だんがい)。海には赤ん坊の死体が浮き、岸辺には破傷風で苦しむ人たちが大勢いた。1週間近く、水だけでしのいだ。

 仲程さんが捕虜になったのは26日。別の日本兵が「日本は負けた。民間人は出て行ったほうがいい」と言ってくれた。当時、「米軍に捕まると、女は強姦(ごうかん)され、男は戦車でひき殺される」と言われていた。「この日本兵は命の恩人です」。だがおじ、おばらたくさんの親族を亡くした。

 仲程さんは、文科省の教科書検定に声を震わせて怒る。「軍さえいなければこんなことにはならなかった。人の命を大切にするのが教育なのに、あったことをなかったことにするとは何事ですか。生かされた私は亡くなった人の嘆き、苦しみ、悲しみを伝えなければならない」

 改憲を急ぐ安倍首相にも厳しい視線を向ける。「憲法9条は絶対守らなければだめ。首相は沖縄戦も空襲も知らないのに何を言うか。爆弾が家に落ちれば分かる。戦の末に生まれた基地がある限り、沖縄の戦後は終わらないですよ」【三森輝久】

毎日新聞 2007年6月23日 12時52分 (最終更新時間 6月23日 13時26分)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板