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近現代史綜合スレ

21とはずがたり:2004/07/05(月) 20:50
下山事件で浮上、「ライカビル」解体 姿消す戦後史舞台
http://www.asahi.com/national/update/0705/019.html

 昭和史上最大の謎とされる下山事件が5日で55年を迎えた。連合国軍総司令部(GHQ)直属の日本人情報機関のアジトがあった通称「ライカビル」(東京都中央区日本橋室町3丁目)の解体作業が始まった。米軍将校や右翼関係者が出入りし、同事件の「謀略の拠点」として当時の東京地検も注目した。自他殺の結論が出ないまま半世紀がすぎて老朽化が進み、「戦後裏面史の証人」は姿を消す。

 戦前から残るビルはれんが壁の5階建て。「日本に3台しかない」と記された蛇腹式扉のエレベーターのほか、4階に巨大な金庫もあった。石造りの階段の床面はすり減っていた。

 事件が起きた1949年当時、1階にカメラのライカを取り扱うシュミット商会があり、「ライカビル」と呼ばれた。2〜4階は貿易会社「亜細亜産業」。GHQ直属の謀略機関「キャノン機関」につながる日本人情報機関の役割を担った、とも言われる。

 事件のあった7月5日午前9時半すぎ、国鉄総裁の下山定則氏が消息を絶った三越はビルの南約200メートル。ビル隣の建物にある地下鉄出入り口は地下道で三越につながっており、疑惑を深めた。

 下山総裁は翌日未明、足立区内の常磐線の線路上で轢死(れきし)体で発見された。衣類にぬか油と塩基性の特殊な染料が付いていた。朝日新聞が入手した東京地検の内部資料には、東京工業薬品染料協同組合名簿から63社がリストアップされ、ライカビルだけ「×」印があった。

 キャノン機関ナンバー2で米バージニア州に住むビクター松井氏(当時76)は99年秋、朝日新聞の取材に「キャノン機関は事件にはかかわっていないが、私もライカビルへは出入りした。右翼や大陸浪人、GHQ関係者らが交わるサロンのような存在で、キャノン専用の小部屋もあった」と証言していた。

 亜細亜産業は東南アジアから生ゴムを密輸したり、北朝鮮との密貿易で共産圏の情報を収集したりしていたという。同社は事件後に閉鎖され、社長は98年に死亡した。

 庶務課長を務めたことがある社長の弟(83)は「兄がどういう仕事をしていたかは知らない。ビルが取り壊されるのは寂しいけど、歴史ということだね」と話す。

 昨年、ビルを購入した不動産会社は「昭和史の裏舞台だったとは知らなかった。レトロな雰囲気にひかれたが、老朽化が激しかった」。6月下旬から解体を始めた。再開発計画は白紙だ。

 〈下山事件〉 国鉄が約3万人の人員整理を発表した翌日の1949年7月5日、下山定則・初代国鉄総裁が自宅を出たあと、東京・日本橋の三越に入ったまま行方不明になった。翌6日午前0時20分ごろ、足立区の五反野付近の国鉄常磐線北千住―綾瀬間の線路で遺体で発見された。東大の鑑定は「死後轢断」と他殺説の根拠となる結果を出した。しかし自殺説の根拠となる「生体轢断」との主張も他の法医学者から出され、米情報機関による謀略説も取りざたされた。 (07/05 16:04)


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