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近現代史綜合スレ

194やおよろず:2007/03/20(火) 07:35:50
>>193

>>国家が国民の保護者として信頼を置いておくのか場合によっては戦争の実行者として懐疑的な目を向けるのかあたりがスタンスの分岐点になるのでしょうかね。

 これは、2律背反する問題ではないと思います。
 性善説に基づく信頼を置いているのは能天気な話で、常に誠実性を失う誘引があるものに対しては、監査・監督体制を築くべきでしょう。
 その上で、国家のもたらす効用を享受できるわけです。
 国家性善説的な態度では効用を享受できないし、かといって国家を否定しても国家による効用は享受できないわけです。
 
 国家による暴力の独占がもたらす効用には、①対外的なもの②対内的なものが存在します。

 ①対外的効用とは、当然、他国との間の戦争において発揮されるものです。
 暴力が国家に独占されている分、一般に、諸邦が個別に戦うよりも、戦争遂行に係る効率性が高いものとなります。
 ②対内的効用とは、国内における内戦状態の回避です。
 国家が暴力を独占していれば、刑事事件的暴力行為は別ですが、いわゆる内戦が起こりえません。
 よって、国家は①他国からの圧力を排し②内戦状態を回避する権能を持っているといえます。
 この能力が効率的に発揮されるか否かについて、国民の管理可能性が必要とされるのだと考えられます。

 この国家の暴力は、当然に、国民の諸権利への重大な危険でもあります。
 これが、国家の暴力の負効用に当たるものであろうと思います。
 それでは、本来、①他国の圧力を排し、②国内の内戦状態の回避をもって、国民の諸権利の実効性を確保する機能が果たされなくなってしまいます。
 そこで、この暴力装置の管理可能性が、誠実に発揮されるか否かという点で、問題になるのではなかろうかと思います。

 つまり、暴力の独占の①効率性②誠実性について、国民は管理が必要ということになります。

 超国家的に、暴力が一元化されたとします。
 すると、規模的に効率性が上昇し、効用をもたらす能力は上昇します。
 世界的に一元化されることにより、対外的な力の発揮は必要なくなり、対内的な内戦状態の解消が世界的に広がるわけで、戦争そのものが回避されるように思えます。
 ここで、問題になるのが、誠実性に対する管理可能性です。

 この巨大となった暴力装置の管理可能性が、規模に応じて低下していくことが予想されます。
 管理可能性が喪失することにより、この一元的暴力機構は、諸国民に対して大きな、不幸ようをもたらすことになります。
 よって、結果として、史上最強のリバイアサンが誕生することになります。

 暴力の独占だけに限りません。
 例えば、欧州中銀に関して、その総効用に関しては、悲観的に考えています。
 フランスでは閣僚レベルからも、欧州中銀への批判が出てくるようになりました。
 通貨発行権の超国家的独占に対しても、諸国民の管理可能性を失ったまま、国家に対するリバイアサンとなって現れる可能性は条文に考えられます。


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