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近現代史綜合スレ
187
:
やおよろず
:2007/03/03(土) 19:20:38
1フランス革命
フランスは、絶対王政からフランス革命と混乱期を経て、ナポレオン時代に突入した。
ドイツはフランスの混乱を見て、「革命」ではなく「改革」を選択した。
2ライン連盟
ライン連盟が、オーストリアのナポレオンに対する相対的劣位が明確になったため、フランスの庇護を受けるために結成される。
3神聖ローマ帝国の終焉
ライン連盟諸国の神聖ローマ帝国からの脱退。
オーストリアも神聖ローマ皇帝の帝位を返上。
中世秩序の残存たる教皇=皇帝(国王)の関係が名実ともに消滅した。
4ティルジット講和以降
ナポレオンの事実上の支配下に入ったドイツ諸国が、「農奴解放」「都市条例」など近代国家としての形式を整える。
領邦国家レベルでの「改革」が進展する。
5諸国民戦争など対ナポレオン戦争
プロイセンで「愛国運動」が起こり、ロシア遠征に失敗したナポレオンと戦う。
オーストリアも反ナポレオン陣営につき、ナポレオン=フランスは相対的劣位に立たされる。
形勢の逆転を見て、ライン連盟諸国も反ナポレオン陣営につく。
6ウィーン会議以降におけるドイツの工業化
ウィーン会議により大規模戦争は休止の期間を迎える。
その間、プロイセンでは工業化が進み、オーストリアとの間で経済的な優位が明確になる。
7ドイツの改革
ナポレオン支配下から継続して改革が進む。
フランス「二月革命」の影響で、ドイツでも「三月革命」が起こる。
ナポレオン時代の課題が、この期に進展する。
8「大ドイツ」統一
オーストリアはハンガリー・イタリア・ボヘミアを版図としており、多民族国家となっていた。
各地で民族主義的蜂起が頻発する。
オーストリアは工業面でプロイセンに立ち遅れる。
オーストリアは関税面で折り合わず、ドイツ関税連盟に加入することは拒否する。
民族主義の勃興と工業面の立ち遅れで、大ドイツ統一の試みは失敗する。
9「小ドイツ」統一
北ドイツの勢力をのばしていたデンマークとの戦う。
戦後処理を巡ってプロイセンとオーストリアが戦争する。
オーストリアに加担した諸国を併合し、残りの諸国を参加に治める。
この過程でビスマルクは、自由主義者からも支持を受けるようになる。
南ドイツ諸国は北ドイツ連邦に参加しなかったものの、関税同盟を通じて北ドイツとの結びつきを強める。
普仏戦争にはプロイセン側として参戦し、ドイツ連合軍としてフランスと戦う。
これをきっかけに、南ドイツ諸国もドイツに加入し、「小ドイツ」の統一が達成される。
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