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近現代史綜合スレ

18とはずがたり:2004/03/04(木) 21:23
http://www2.asahi.com/senkyo2003/localnews/kagawa/OSK200310140025.html
《検証 香川の総選挙史:上》小選挙区制で「自民王国」

 香川は、3つある衆議院小選挙区を自民が独占し、他党の国会議員がいない「自民王国」だ。しかし、かつて70年代には、県知事と高松市長が「革新」で、野党勢力を勢いづかせていた。どこにターニングポイントがあったのか。政権交代を問うといわれる今回の総選挙を前に、香川の選挙史を振り返る。まずは革新の動きから。

 「前川さんをかつぎ出した社会、共産、公明、民社各党幹部のどの顔もゆるみっ放し。そこへかけつけた革新の脇信男・高松市長と『新しい地方政治をやろう』とがっちり握手した」(74年8月27日付朝日新聞)

 元香川大学長の故前川忠夫氏(09〜88年)は野党4党に推され、この年の知事選で7選を目指す現職を破って初当選した。

 元社会党衆院議員の三野優美(よしみ)さん(72)は振り返る。「このころは『政権が取れる』という情熱にあふれていた」

 この時代、香川の革新の「看板」は、三野さんが秘書としてつかえた故成田知巳氏(12〜79年)だ。香川郡多肥村(現高松市多肥上町)生まれ。東大から三井鉱山などを経て、47年に旧香川1区で初当選。以後76年まで12回連続当選し、社会党委員長に上り詰めた。

 故脇信男氏(19〜97年)は、成田氏の秘書から高松市長になった。71年に社共共闘で初当選し、連続6期。全国革新市長会長も務めた。

 前川氏の知事当選は、脇氏の初当選から3年後のこと。「社会・公明・共産・民社」の4党共闘は当時でも珍しかった。以来3期12年、憲法擁護を看板に掲げて県政を担った。

 81年9月の朝日新聞に掲載された「新人国記」で、前川氏は「香川の革新の強さ」をこう語った。「琴平などは早くから全国の人が集まって都会化し、進歩的な人が多かった。農民運動も昔から盛んだった」。こんぴらさんに代表される「都会」としての活気が、革新を支えたという見方だ。

 それがなぜ、30年の時間の中で「自民王国」に変貌(へんぼう)したのか。

 三野さんは「小選挙区制のためだ」と憤る。三野さんは86年、90年、93年と旧香川1区で3期連続当選し、成田氏以来の社会党の議席を守った。

 しかし、与党となった細川政権時代の94年1月、小選挙区比例代表並立制を導入する政治改革4法が成立。三野さんは党議に従わず、本会議で反対票を投じたが、流れは変わらなかった。

 一方、共産党県委員会の田村守男委員長(54)は「最初は『反自民』で県政をつくったのに、前川さんの引退後、社会党は自民と手を握った」と社会党を批判する。

 政権が取れると思った時代に取れず、取ったと思えば流れが急転する。自社さ政権が誕生すると、社会党は衰退。96年の選挙で、自民が香川の3小選挙区を独占。その時、社民党(旧社会党)は、四国全体で議席を失っていた。
 (10/12)


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