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近現代史綜合スレ

15憲政擁護者:2004/01/18(日) 11:21
民主党スレの戦後史論も、第2保守党から吉田茂個人の話に移っています。
そこで、こちらで吉田の話をしたいと思います。

吉田は根っからの自由主義者であり、自由主義路線こそが日本の政治・外交の進むべき道と確信していました。
国際協調と自由貿易を進めることにより、世界や日本自身の発展を導くことができる、という訳です。
また、吉田は自由主義の強い英米との協調によってこそ、日本の自由主義が達成されると考えていました。
それ故に戦前は日英同盟の復活を熱望し、戦後は首相として日米安保条約を締結したのです。
とはいえ、決して米国追従の政治・外交を志向していたわけではありません。
現に首相在任中、GHQとは何度も渡り合っています。

吉田は自由主義者として、極右・極左両方の全体主義を毛嫌いしていました。
戦時中に終戦工作をして憲兵に捕まったり、マッカーシー旋風に併せて共産党幹部を公職追放したのです。
因みに、吉田は広田弘毅内閣で外相に起用される予定が、自由主義者故に軍部に話を潰されました。

ただ、吉田は自由主義者ではあっても、議会軽視と批判されるなど、民主主義者ではなかったと言われています。
古典的な自由主義者として、「民主政治は無知蒙昧な大衆による衆愚政治を招く」と考えていたようです。
ですから、吉田を「自由主義者」ではなく「リベラリスト」と書くと、今日の感覚では間違っていることになります。
またそれ故にエリート嗜好で、池田勇人や佐藤栄作に代表される官僚を次々と議会に送り込んで登用し、
大衆迎合的で政治理念がないとして戦前派党人政治家をこよなく嫌っていました。
因みに、河野一郎が吉田に嫌われた筆頭格でしたが、孫の麻生太郎が河野の息子・洋平の側近となったのは皮肉ですね。

一方で吉田は明治人の気風を持ち、日本の伝統を愛する民族主義者でもありました。
これは実父が土佐藩士で自由民権運動に携わったことと、大久保利通の次男・牧野伸顕が岳父だったことが影響しています。

吉田はよく、「軽武装経済優先路線」を築いたと言われますが、吉田本人の意図は違ったといわれています。
つまり、日本に共産主義革命が起こらない様にするために、当面は民生の安定が最優先であり、再軍備の余裕はないが、
それ相応の経済力を持つに至った場合には、専守防衛のための軍隊を持つべきである、と考えていたようです。
これは数々の国会答弁では触れていないので、そういう誤解も無理ないでしょう。

因みに私の思想は、吉田茂に関する著作を読み漁ったことが大いに影響しています。


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