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近現代史綜合スレ

1229名無しさん:2021/03/23(火) 17:46:08
https://news.yahoo.co.jp/articles/5be2ad91f4d389de55cfa9fc0ce6822657853171
大出世蹴った首相、馬肉の委員長、総務省疑惑に想う清廉な政治家
3/23(火) 12:40配信
Wedge
 近年、あまり聞かれなくなった言葉に、「清廉潔白」、「謹厳実直」がある。「井戸塀政治家」もそのひとつだろう。

 古い言葉を持ち出したのは、総務省の接待疑惑に関与した政治家、役人の卑しさに呆れたからだ。

 かつては、金銭、名誉などに目もくれず、ひたすら国のために奔走した人たちがいた。官僚時代に出世を2度も辞退した総理大臣、馬肉が唯一の好物という野党第一党委員長……。清貧に甘んじた大先輩たちは、不肖の後輩のご乱行に眉をひそめているかもしれない。

“ライオン首相”の自宅は借家
 古くは明治の元勲、西郷隆盛、自由民権運動の闘士、板垣退助らを思いうかべるむきもあろう。そんな歴史上の人物にまでさかのぼらなくとも、昭和以降でも、偉大な政治家は何人もいた。

 筆者は“独断と偏見”で、昭和初期の宰相、浜口雄幸を真っ先にあげたい。

 1929(昭和4)年に総理大臣に就任、日本経済を世界の標準に合わせることを目的に金輸出解禁(金解禁)を断行した。主要艦以外の制限をめざしたロンドン軍縮会議では、海軍軍令部の猛反対を押し切って調印。強い信念、誠実、剛毅な人柄とその容貌から“ライオン宰相”と親しまれた。

 しかし、世界恐慌のあおりで景気は悪化、軍縮会議では補助艦のトン数で欧米より不利を強いられたため、不満を持つ青年に東京駅ホームで撃たれ、志半ばで倒れた。 

 浜口が偉かったは、まず公私混同をしない。破格の収入を伴う高い地位にも目をくれず、ひたすら自らの職務に精励した。質素、謹厳実直という表現は、数多くある浜口の伝記に必ずと言っていいほど登場する。

 首相の印綬を帯びて自宅で新聞社の写真撮影に応じた時、カメラマンに「あまりマグネシウムをたかんでくれ。借家だから天井を焦がしては家主にすまぬ」とあわてて制止した。当時はカメラの照明用にマグネシウムを発火させていたため、熱で家を傷めることを心配したらしい。記者団は笑って相手にしなかったが、本人はいたってまじめだったという(城山三郎『男子の本懐』)。 

 首相に就任してから、鎌倉の別荘で週末の静養をとることがあった。わずか4、50坪、2階屋ながら階段は段梯子というあばら家。ゴルフをするでもなく、随筆を書いたり、思索にふけった。その鎌倉行ですら、「面倒だ」といってめったに出かけなかった。


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