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近現代史綜合スレ
1220
:
とはずがたり
:2020/12/08(火) 15:59:08
その朝の授業は鬼のあだなで畏怖された教授の英語だった。その…
https://www.tokyo-np.co.jp/article/73024/
2020年12月8日 06時40分
その朝の授業は鬼のあだなで畏怖された教授の英語だった。その朝とは、一九四一(昭和十六)年十二月八日。日米開戦の日だという▼開戦の臨時ニュースが校内に伝えられた。教授は廊下に飛び出し、「万歳」と叫んだそうだ。当時の学生が書き残している▼作家、半藤一利さんの『十二月八日と八月十五日』にあったが、とりわけ珍しい話ではなかろう。<やみがたくたちあがりたる戦(たたかい)を利己妄慢(ぼうまん)の国国よ見よ>斎藤茂吉。長く続く米英との緊張。当時の国民はうっとうしさや閉塞(へいそく)感の中にあり、真珠湾攻撃はその暗雲を吹き飛ばすかのように受け止められた。「利己妄慢」の米英という大国に挑む痛快さもあったという。茂吉もそうだったのだろう▼十一年後の五二年に建立された、広島の原爆死没者慰霊碑。碑文は<安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから>である。その言葉を考案したのは十二月八日に「万歳」を叫んだあの教授だそうだ▼歴史の皮肉を書きたいわけではない。教授の名は当時広島大学教授の雑賀忠義さんとおっしゃる。この人も被爆している▼あの日、今から考えれば、勝てるはずもない日米の開戦に国民の大半が高揚した。記憶にとどめなければならぬ戦争の過ち。それは軍や政府によるものだが、感情に任せたわれわれの側の「万歳」をそこから除く理由もまた見当たらぬ。繰り返すまい。
雑賀忠義
https://kotobank.jp/word/%E9%9B%91%E8%B3%80%E5%BF%A0%E7%BE%A9-1076528
1894-1961 大正-昭和時代の英文学者。
明治27年3月25日生まれ。大正13年広島高教授,昭和24年広島大教授となる。同年,浜井信三市長の依頼で広島市平和記念公園の原爆慰霊碑文に「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の一文をえらび,揮毫(きごう)した。昭和36年2月8日死去。66歳。和歌山県出身。京都帝大卒。著作に「英詩入門」など。
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