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近現代史綜合スレ
1217
:
荷主研究者
:2020/11/21(土) 22:19:27
https://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20201105579279.html
2020/11/05 11:00 新潟日報
戦争遺跡 五泉で発見
旧陸軍の「秘匿飛行場」や塹壕
塹壕とみられる跡=五泉市
秘匿飛行場の滑走路があったとみられる場所=五泉市
新潟大人文学部の清水香助教(48)=考古学=の研究チームが、新潟県五泉市の新大農学部付属フィールド科学教育研究センター村松ステーション(村松ST)内で、旧陸軍の「秘匿飛行場」の滑走路や塹壕(ざんごう)の跡とみられる戦争遺跡を発見した。新大の史料や聞き取り調査で施設の存在は知られていたが、考古学の面からも裏付けが取れた形だ。清水氏は「県内にも戦争遺跡があると知ってもらうきっかけになってほしい」と期待している。
◎新大研究チーム 史料や住民証言裏付け
新大は2014年から当時の建物の配置図を分析。周辺住民らへの聞き取り調査を続けている。発掘の実績がある清水氏が18年に新大に赴任。分析結果などを基に今年8月、発掘調査が行われた。現在はほ場として使われている4カ所の試掘で、塹壕の凹型のくぼみが埋め戻されたような形跡を発見した。その上の層からは自然堆積では形成されない石や砂が混ざった地質も確認できた。
清水氏は「石や砂が含まれている層は人為的に搬入されたと考えられる」とする。これは聞き取り調査で複数の住民が語った「練兵場には塹壕があり、それを平らにした」「滑走路はローラーで固めた」などの証言と符合し「この場所に秘匿飛行場があったと思われる」と説明する。
これまでの研究で「陸軍用地」と記された石の標柱が複数見つかった敷地南西部の森林も調査した。この周辺でも今回、塹壕とみられる幅2メートル、深さは最大1・6メートルの落ち込みが確認された。清水氏らは「くぼみの規模や地質からほ場の塹壕と同時期に作られたものだと推測できる」とみている。
南部の一角からは医療用アンプルや1920〜50年代のものとみられる酒の王冠や歯磨き粉、統制品の陶器も見つかっている。清水氏は「塹壕の地質からもこうしたものが見つかれば、ほぼ間違いなく戦争遺跡であることが分かる」と指摘する。
今回の発見について清水氏は「住民の口承証言を考古学的に目に見える形で示せた」とし「本県では戦争遺跡の調査がまだ進んでいない。身近な所にある戦争の記憶を後世に残していくことは大きな意義がある」と語った。
<新潟大農学部付属フィールド科学教育研究センター村松ステーション> 広さ約33ヘクタール。日清戦争後の1897年に国の軍備拡張の一環として兵営が置かれ、陸軍歩兵30連隊が駐屯した区域に立地する。太平洋戦争末期には村松少年通信兵学校が設置され約7千人の少年兵を養成したが、終戦で解散。米軍の駐屯地を経て、1946年に新潟大農学部の前身となる県立農林専門学校が移転した。兵舎もそのまま使用されていたが、新施設の建設に伴って解体された。
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