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近現代史綜合スレ
1213
:
名無しさん
:2020/11/21(土) 22:02:58
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a9fb9f448cdf02bd33652d98c246d6ae403a8cc
田中角栄に向けてニクソン大統領が放った、ヤバい「差別発言」をご存じか?
11/21(土) 6:02配信
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1973年7月31日、田中角栄はニクソン米大統領と2度目の首脳会談に臨んだ。しかし日中国交正常化に不満を抱くアメリカ側は、角栄に対して高圧的な態度で接する。そしてとうとう、ニクソンの口から衝撃的な「差別発言」が飛び出した…! 緊張が高まる当時の日米関係の様子を、新刊『ロッキード疑獄』から一部編集して紹介する。
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角栄とニクソンの関係悪化
この頃、双方は7月31日〜8月1日に設定された、田中とニクソンの2回目の首脳会談の準備作業にとりかかっていた。
両首脳にとって悩みは、大統領も首相も支持率が低下していたことだ。ニクソンはウォーターゲート事件、田中は金権政治が問題にされ、両者は人気回復策で悩んでいた。
当時、日米間の主要課題は、(1)対中国政策の調整と、(2)日米貿易不均衡だった。しかし、(1)は既に「主要な論点」ではなく、(2)は「解決への道筋が付けられたよう」に見えた。
だから、キッシンジャーはニクソンに「相互に関心がある多国間問題での協力」について、次のような協議をするよう提案した(注1)。
・日本の経済力に比例した役割を地域および世界で演じるよう求める。
・日本はエネルギー問題で、日本の協力が重要とされる地域で建設的に取り組む。
・新しい分野で米国とともに同盟関係への新たな日本の関心を創出する。
「こうした議題は、CIAの報告によれば、田中が好む」と付記されている。
二度目の田中との会談に向け、ニクソンは手ぐすね引いていたとみられる。田中に意見してやる、と意気込んでいたのだろう。
第一に、両首脳は一緒にゴルフする計画だったが、理由もなく止めた。
前年、1972年のハワイでの首脳会談の際、ロジャーズ国務長官は、次にワシントンで会う時は大平と「一緒にゴルフしないか」と話していた。今回、大平からインガソル駐日大使を通じて「プレーのお招きをいただけたら大平も田中も大変ありがたい」と提案した。
だから、首脳同士のゴルフも「同意されるなら、(会談前日の)7月30日でアレンジする」とロジャーズはニクソンに伝えた(注2)。
しかし、この計画について、キッシンジャーの部下は、7月18日付のキッシンジャーあてメモで「先月日本側から提案があったが、あきらめた」と連絡。キッシンジャーも、大統領あてメモで「ゴルフの可能性はない」と伝えた(注3)。ニクソンが断ったとみられる。
第二に、8月1日の会談終了後に、ホワイトハウスの「ローズガーデンを両首脳が散策し、2人で共同声明を発表。宇宙中継で日本のテレビにライブ映像を送信する」という日本側提案の演出も、同じ憂き目に遭った。
日本の提案は会談前日の7月30日、キッシンジャーに伝えられた(注4)。しかし、当日の「大統領日誌」によると、「大統領は別れのあいさつをして、3分後に執務室に戻った」。米国側は、会談開始予定を30分繰り上げて午前9時半とし、テレビの宇宙中継はやるが、両首脳による共同声明発表には応じなかったのだ(注5)。
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