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近現代史綜合スレ

1193とはずがたり:2020/06/02(火) 17:17:49

大本営発表はなぜ「ウソの宣伝」に成り果てたか
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180808-OYT8T50018/2/
2018/08/15 05:20

… 私がキャスターを務める「深層NEWS」では、『大本営発表 改竄かいざん・隠蔽いんぺい・捏造の太平洋戦争』(幻冬舎新書)を書いた近現代史研究者の辻田真佐憲つじたまさのりさんをお招きして話を聞いた。辻田さんは、でたらめ発表が行われた背景に、「情報軽視」と「内部対立」という2つの構造的な欠陥があったと分析している。

情報軽視の悪癖、現場の報告を鵜呑みに
 大本営発表が最初からでたらめだったわけではない。真珠湾攻撃の戦果は、航空写真を綿密に確認するなどした上で、3度も修正されている。戦闘機から見た艦船は点のようなもので、本当に沈んだのか、沈んだ艦は戦艦なのか、駆逐艦なのかを判別するのは、熟練度が高い搭乗員でも簡単ではないからだ。

「深層NEWS」より
 戦線が拡大し、熟練度が低い搭乗員が増えるにつれ、戦果の誤認が急増した。誤認は米軍にもあったが、大本営には情報を精査したり、複数の情報を突き合わせたりする仕組みがなかった。特に作戦部には現場からの情報を軽視する悪癖があった。根拠もなく報告を疑えば「現場の労苦を過小評価するのか」と現場に突き上げられる。誤った報告は鵜呑うのみにされ、そのまま発表されていった。

「敵空母11隻、戦艦2隻撃沈…」幻だった大戦果

 誤報の極みとされるのが、1944年(昭和19年)10月の台湾沖航空戦に関する大本営発表だ。5日間の航空攻撃の戦果をまとめた発表は、「敵空母11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻を轟ごう撃沈、空母8隻、戦艦2隻、巡洋艦4隻を撃破」。米機動部隊を壊滅させる大勝利に、昭和天皇(1901〜89)からは戦果を賞する勅語が出された。だが、実際には米空母や戦艦は1隻も沈んでおらず、日本の惨敗だった。


 熟練度の高い搭乗員はすでに戦死し、作戦に参加したのは初陣を含む未熟な兵卒が大半だった。多くは米軍の反撃で撃墜され、鹿屋基地(鹿児島県)に帰還した搭乗員の報告は「火柱が見えた」「艦種は不明」といったあいまいな内容ばかりだった。だが、基地司令部は「それは撃沈だ」「空母に違いない」と断定し、大本営の海軍軍令部に打電した。翌日に飛んだ偵察機が「前日は同じ海域に5隻いた空母が3隻しか発見できない」との報告が「敵空母2隻撃沈」の根拠とされ、さらに戦果に上乗せされた。

 さすがに疑問を感じた海軍軍令部は内部で戦果を再検討し、「大戦果は幻だった」ことをつかんだが、それを陸軍の参謀本部に告げなかった。陸軍は大本営発表の戦果をもとにフィリピン防衛作戦を変更し、レイテ島に進出して米軍を迎え撃ったが、台湾沖で壊滅させたはずの米空母艦載機の餌食となり、壊滅した。各部署は大本営発表から戦果を差し引いた独自の内部帳簿を持っていたが、その数字は共有されず、共有しても相手は参考にしなかったという。

「水増しと隠ぺい」内部対立がさらに歪める
 情報の軽視によって水増しされた戦果は、公表範囲を決める幹部会議に持ち込まれ、「軍事上の機密」を理由に都合の悪い部分が隠ぺいされた。報道部が大本営発表の文書を起案する時点で、すでに戦果の水増しと隠ぺいが実施済みだったわけだが、ここからは「内部対立」でさらに戦果は歪められていく。

 大本営発表は軍の最高の発表文で、起案された文書は主要な部署すべてのハンコがなくては発表できない。陸軍を例にとると、参謀本部に参謀総長、参謀次長、作戦部長、作戦課長、情報部長、主務参謀などがいて、陸軍省に陸相、次官、軍務局長、軍務課長らがいた。特に、作戦部にはエリート中のエリートが集まり、他の部署を下に見ていたという。他の部署は作戦部を快く思わず、何かにつけていがみあっていたから、すべてのハンコをそろえるのは大変な作業だった。


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