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近現代史綜合スレ
1177
:
とはずがたり
:2019/06/14(金) 15:20:07
1943(昭和18)年、大本営は絶対国防圏を設定しますが、44年7月にサイパンは陥落します。国防圏が破られたら停戦交渉を始めるはずだったのですが、政府は戦争を続行してしまいます。
神風特攻隊だけでなく、桜花(航空特攻兵器)、回天(人間魚雷)、震洋(爆装特攻艇)、伏龍(人間機雷)といった特攻・自殺兵器を開発します。(註:マルカッコ内は編集部が補った)
惨(むご)いのは開発段階のテストで多くの若い兵士が命を落としていることです。そして最後には竹槍が登場しました。
45(昭和20)年8月15日、終戦を迎えます。日本は何とか、あそこで踏みとどまったわけです。それも自然に停戦が成立したわけではありません。陛下の御聖断があったわけですが、そこに持っていくまでに大変な苦労が、あまり語られない苦労があったわけですね。
あの時の日本人は「あの戦争が、あともう少し続いたら、みんな死ぬところだった」と真摯に反省し、それが帝国議会における新憲法の議論に反映されます。憲法9条2項の冒頭に「前項の目的を達するため」という文言を挿入した「芦田修正(編註:日本政府憲法改正小委員会において委員長の芦田均[1887〜1959]が加えた修正)」は、その代表例です。
ダグラス・マッカーサー(1880〜1964)も、「日本の皆さんで、しっかり議論してください」と言いました。貴族院も、自分たちの名誉と天皇陛下に対する忠誠心から、極めて真面目に議論しています。その上で日本国憲法が誕生し、陛下の御裁可をいただきました。これを“GHQの押し付け憲法”と評するのは無茶苦茶です。
日本人が真摯に議論して作った憲法という事実を無視し、「もう憲法は時代に合っていない」とか「緊急事態条項を創設しよう」という指摘は、あまりに乱暴です。昨年7月に西日本を中心に大豪雨が発生しましたが、被害者の皆さんは改憲が必要だと指摘されたでしょうか?
敗戦における軍部の責任は否定できません。つまり憲法9条とは、「日本を敗戦に追い込んだ旧日本軍を復活させない」ことを主旨としたのです。警察予備隊、自衛隊を創った方々は、そのことを熟知していました。もっと言えば、自衛隊に入隊される方々も、同じです。
中には漫画『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ:講談社)に憧れた人もいるでしょうが、それは極めて少数で、自ら戦争を引き起こすことはない、よほどのことがない限り戦場には駆り出されない、という前提で自衛官になられた人が大半でしょう。ですから、安保法制を審議した際、「裏切られた」という声が自衛官の方々からも漏れたわけです。
――徳川さんのような“エリート”が、ドブ板選挙を戦えますか?
戦前、徳川家は、国が認める特権階級でした。華族令で伯爵になりましたが、私の父である徳川恒孝(79)は、会津松平家の分家に産まれましたから華族ではありません。
祖父の松平一郎(1907〜1992)は、太平洋戦争中、横浜正金銀行職員としてシンガポールに行っておりました。終戦で収容所に入れられますが、父とその兄、私の祖母は御殿場に疎開しており、秩父宮さまの元に身を寄せておりました。秩父宮さまは立派な方なので、一切、ヤミ物資には手を付けられません。ですので皆さま、戦後の平均的な日本人の中でも、相当に貧しい暮らしをしておられたんですね。
祖母は結核で片肺しかなかったのですが、それでも懸命に畑を耕しました。貧しい食べ物を3人で分け合い、たまに宮さまから卵を賜わると、父は泣いたそうです。旧華族は1000軒に達しましたが、あれほど貧しかったのは我が家だけだったでしょう。
だから特権階級どころか、実情は庶民と全く変わりませんでした。皆さんと同じように空襲で逃げ惑い、疎開先でいじめられ、食糧難に苦しんだのです。戦争で本当に酷い目に遭ったという認識を持っているからこそ、そうした歴史的事実をすっ飛ばして改憲議論が行われるのには賛成できません。
私がドブ板の選挙活動を行うことは当然ですし、それをしなければならないと思っております。日本人が滅亡寸前まで追い詰められたからこそ、私たちは1票を持っているのです。
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