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近現代史綜合スレ

1158名無しさん:2019/01/02(水) 17:12:28
>>1157

 ◆的場 順三(まとば・じゅんぞう)1934年9月15日、滋賀県生まれ。大蔵省主計局主計官などを経て、86年から内閣官房内閣審議室長。退任後は国土事務次官を務めた。退官後は中小企業金融公庫副総裁などを歴任。06〜07年に安倍内閣の内閣官房副長官を務めた。

 「新しい元号は『平成』であります」。小渕恵三官房長官は白木の額縁に飾られた「平成」の書を顔の右横に掲げた。傍らで会見をプロデュースした小渕氏秘書官・石附弘氏が安どの表情で見つめていた。

 テレビの生中継で新年号を発表するのは史上初。石附氏は見せ方次第で「新時代への期待感や雰囲気」が変わると考え、会見を重視していた。「昭和」は発表前に「新元号は光文」と報じられたほか、主要メディアがラジオで漢字の持つ独特の雰囲気を伝えられず、大衆の期待感を高められなかった経緯があった。

 各有識者と相談の上、まず「会見で年号が記された書を見せる」と決めた。「テレビの利点を生かせるのはこれしかないと思った。一発で『平成』を印象づけられる」。元号を披露する際の動きも研究。顔の横に掲げるのが最も印象的だと結論づけた。「半紙をアクリル板に貼り付ける」予定だったが、直前に相談したメディアに「カメラのフラッシュで光って見えない」と指摘され「半紙プラス白木の枠組み、アクリル板なし」となった。

 会見当日。石附氏は「平成」の文字を見て、書道につきものの「かすれ」がほとんどないことに気づいた。後に文字を書いた書家の河東純一氏に聞くと「確たる未来と新時代への力強さを見せるため、あえて抑えました」と説明された。テレビ会見の重要性は、全員が理解していた。

 後に小渕氏は、「ちびっ子に『テレビで見た平成オジサン』とはやされて困っているんだ」とうれしそうに話していたという。平成の幕開けを告げる会見は、昭和が作ったテレビ時代の集大成だった。

 ◆バブル時代の象徴フレーズ「24時間戦えますか」 「24時間タタカエマスカ」。栄養ドリンク「リゲイン」の広告に使われたキャッチコピーは、1989年の流行語大賞で銅賞に選ばれた。リゲインは製薬メーカー三共(現・第一三共ヘルスケア)が1988年4月に発売開始。翌年、俳優の時任三郎をCMのイメージキャラクターに起用すると、エネルギッシュな時代にマッチして大ブレイクした。

 時はバブル景気真っただ中。日本企業は次々と海外に進出。当時を知る同社関係者は「風邪薬のルルに代表される温かく優しい(企業)イメージだったので、挑戦的なコピーは経営陣の了承をすぐに得られたわけではなかった」と回想。「当時の事業部トップの決断でCMが誕生した。攻めたものであることは社内共通の認識だった」。世はイケイケの時代だったのだ。

 狙いは当たった。CD化したテーマ曲「勇気のしるし」は約60万枚の大ヒットに。忘年会シーズンのカラオケで定番となったのはもちろん、入社式や運動会、90年の夏の甲子園でまで流れるようになった。

 時任が出演したシリーズは15編作られ、91年に終了。働き方への意識の変化などとともにキャッチコピーも変わっていく。2014年に同社とライセンス契約したサントリーフーズから出た「リゲインエナジードリンク」のCMソングの歌詞は「24時間戦うのはしんどい」だった。

 働き方改革が進められ、今はパワハラや過労死が問題視される時代。このコピーが象徴するイケイケ時代は、今や「遠くなりにけり」だ。(甲斐 毅彦)


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