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近現代史綜合スレ

1127とはずがたり:2018/07/04(水) 18:46:58

 「明治政府は発足時に「キリスト教信仰は禁止」と明言したあと、その禁止を取り消すことは一度もなかった」

 つまりキリスト教信仰解禁の年、というのは、政府の公式発表を追う限り、日本史上、存在していないのである。

 今回の潜伏キリシタン世界遺産への報道では、「1873年にキリスト教解禁」という文字が見えた。

 どうやら、それが歴史的事実という認識があるようだ。

 残念ながら、錯誤である、というしかない。世界キリスト教史に、わざと錯誤されるように流された情報であり、日本史としては、間違っている、というべき事項である。

 少なくとも「解禁」という事実はない(日本人がなぜ、日本史側から追わないで、世界キリスト教史から追おうとするのか、その態度も問題だとおもうが)。

7/1(日) 13:00配信 現代ビジネス
明治政府の公式見解
 1873年の解禁と言われるのは「五榜の掲示の撤去」のことである。

 「五榜の掲示」は明治政府の民衆への五つの禁令である。

 「五輪の道の遵守」「徒党して強訴や逃散することの禁止」「切支丹邪宗門の禁止」「攘夷行為の禁止(外国人への暴力禁止)」「郷村からの逃散禁止」

 これは新政府樹立のとき(戊辰戦争の真っ最中)に打ち出された新政府の禁令である。徳川時代と同じく、高札に書かれ、辻々に立てられた。

 この五榜の掲示の立て札が1873年(明治6年)に撤去されたのだ。

 各キリスト教国は、これにて日本国はキリスト教信仰を認めたとして、自国へ打電した。

 しかし、明治政府の見解は違う。

 この撤去のあと、イギリスの新聞が「日本政府はキリスト教徒を処罰する法典を廃棄した」と報じたのを見た外務省が驚き、太政官政府にこれは本当なのかと問い質した。 

 政府の回答は「高札の文面は人民があまねく熟知したので、取り除いたまでである。もとよりキリスト教を黙許するという意思はない」というものであった。

 高札での告知では、これからあらゆる分野の新法典を公布していくのに追いつかないので、告知スタイルを変えただけで、書かれた内容は今後も続行である、というのが、政府が行政機関に告知した内容である。

 これが明治政府の公式見解だというしかない。

 1873年の日本政府には「もとよりキリスト教を黙許するという意思はない」のである。

ひねり出された苦肉の策
 じつは、明治政府がとった立場はダブルスタンダードだった。

 外国に対する態度と、日本人に対する態度を変えていたのだ。

 簡単に言えば「日本人に向かってはキリスト教信仰は禁止」「外国人に向かっては、キリスト教に対して宥和的態度をとりはじめたかも、と勝手に誤解したとしても、敢えて否定しない」という面倒な両面である。

 日本の国際的な評判を落とさないための苦肉の策である。

 五榜の掲示を撤去したことによって、キリスト教宥和に動き始めたと勝手に誤解した外国人たちは、あえてそのままにしておいた。それは違う、まだキリスト教信仰は許してない、とこちらから出向いて通告することはしなかった。それは世界相手に喧嘩を売るようなものだからだ。

 日本人に向けては、「日本人のキリスト教信仰は今後も認めない」という態度は崩していない。おそらく明治6年という時期に、日本人のキリスト教信仰を認める、などという衝撃的な発表をすると、日本国中が大きく動揺し、政府転覆勢力に利用される、という恐れを抱いたのだろう。

 理由はどうあれ、200年間、犯罪者だと指定していた切支丹をいきなり解き放つと聞かされたら、ふつうの庶民はただ驚いて怖がるだけである。思想的背景まで考えて喜ぶ庶民が多かったとはおもえない。だから切支丹禁制は継続である。


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