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近現代史綜合スレ
1124
:
とはずがたり
:2018/07/04(水) 18:46:18
宗教よりこっちだな。
「潜伏キリシタン」世界遺産へ…日本人がしがちな誤解を解いておこう
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180701-00056354-gendaibiz-bus_all&p=1
7/1(日) 13:00配信 現代ビジネス
大浦天主堂を建てたのは誰か?
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界遺産への登録が決定された。
ニュース映像では、たびたび教会の映像が流れていた。大浦天主堂や黒島天主堂である。
見逃しそうなところだけれど、しかし考えてみると、奇妙な取り合わせである。
「潜伏キリシタン」はキリスト教徒であることを隠し、「潜伏」していたから(表面上は仏教徒であったから)潜伏(隠れ)キリシタンなのであって、その文化に「どこから見てもキリスト教の象徴」である教会は存在しないはずだ。
日本独自の文化である潜伏キリシタンと、大浦天主堂は、本来は直接関係がない。大浦天主堂は潜伏キリシタンが建てたものではない。
しかしニュース映像では、教会を映したいのだろう。日本人が見たときに、あ、キリスト教徒の文化が登録されるのだ、とわかりやすい。
大浦天主堂は、フランス人が自分たちのために長崎に建てた教会堂である。
建てられたのは元治2年(1865年)だから明治マイナス3年、つまり3年後が明治元年になるという、幕末ぎりぎりの建立である。
日本人が、キリスト教を信仰するのは犯罪だった時代だから、日本人信者のための教会ではない。
ただ、建立してまもなく、浦上村の潜伏キリシタンがここを訪れ、自分たちもカトリック教徒である、とフランス人神父に告白した。そういう「隠れ(潜伏)信徒の発見」の場所であるため、今回の「潜伏キリシタン遺産」に入っている。
しかし、その告白が遠因となったのだろう、しばらく経ってから浦上村の潜伏キリシタンはそれまでの埋葬方法を拒否した。つまりキリスト教方式による埋葬を自分たちでやろうとしたのだ。
残念ながら、フランス人の教会が建立されようと、日本人のキリスト教信仰は犯罪である。幕府に通報され、浦上村の信者は大量検挙され、やがて流刑になり、流刑先で多くの信者が死んだ。
浦上四番崩れ、と呼ばれる事件である。
浦上村の史上四回目の信者摘発、という意味の呼称である。つまり江戸期を通して、それまで三度、同様の摘発があったのだ。
本部からの「勧告」
教会堂として単体で登録されるのは、この大浦天主堂だけである。
他のものは「長崎の教会群」で申請されたときは却下され、周辺の「潜伏キリシタン施設」を含めたものとして、つまり風景の一部として、申請しなおされたものである。
そういう教会には以下のものがある(カッコ内は建設完成年)。
黒島天主堂(1902年。初期建立は1878年)
旧五輪教会堂(1881年のものを1931年に移築)
旧野首教会(1908年。初期建立は1882年)
出津天主堂(1909年。初期建立は1882年)
大野教会堂(1893年)
頭ケ島天主堂(1919年)
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