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近現代史綜合スレ

112小説吉田学校読者:2006/08/12(土) 22:02:31
評価分かれるいうか、私はまったく否のほうで、「私兵特攻」の一件において、特攻で涙してしまう小泉首相とは歴史的認識を異にする私である。悲しみじゃなくて怒りがわかないか。

「宇垣特攻」最期の真実、親族女性が遺品調査
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060812i104.htm

 終戦を告げる1945年8月15日の玉音放送後に、海軍の宇垣纏(まとめ)中将が若い兵士を率いて出撃した「宇垣特攻」について、厚生労働省非常勤職員の吉田紗知さん(27)(東京都葛飾区)が、独自の調査研究を続けている。
 吉田さんは宇垣隊の一員だった親族が戦死しており、終戦記念日は61年目の命日となる。
 今年になって別の隊員の遺品が米国の博物館に展示されていることを知り、今月、博物館から遺品のノートのコピーを手に入れるなど、謎の多い宇垣特攻の最期に一歩ずつ近づいている。
 吉田さんの曽祖父の弟で、当時21歳の大木正夫・上等飛行兵曹(上飛曹)は8月15日夕、海軍大分飛行場を沖縄に向け飛び立った11機、23人の1人。大木上飛曹ら8機17人は戦死した。特攻作戦を指揮していた第5航空艦隊司令長官で、終戦後に「最後の特攻」を率いた宇垣中将については、「部下を道連れにした」との批判が多い。
 吉田さんは、戦争の話をよく聞かせてくれた祖父が2年前に亡くなったのを機に、「大木さんの生きた証しをたどりたい」と思った。今年2月、戦争体験を紹介する日本のホームページを通じ、米オハイオ州の国立空軍博物館に、宇垣特攻の搭乗員だった後藤高男・上飛曹(当時26歳)の救命胴衣の一部などが展示されていることを知った。入手した写真には、救命胴衣に「後藤上飛曹」と記されていた。
 救命胴衣などの遺品を博物館に提供したのは、終戦時、沖縄にいた元米兵のフィリップ・トンプソン氏(80)だった。吉田さんはトンプソン氏と文通を続け、その中で、後藤機が、米軍キャンプのあった沖縄・伊平屋島の砂地に激突後、爆発炎上したことを知った。
 吉田さんは、福岡県八女市で暮らす後藤上飛曹の弟、照男さん(79)を探し当て、今年4月、自宅に訪ねて写真を渡した。「兄貴は砂地に突っ込んだから、遺品が残ったんじゃのう。ありがたい」。照男さんは、そう感謝しながら吉田さんの話に聞き入った。
 博物館は、宇垣隊の別の隊員のノートも保管している。吉田さんは、宇垣中将の最期の様子や、大木上飛曹についての記述があるのではと、コピーを博物館に頼み、今月7日、全12ページ分が郵送されてきた。ノートは後藤上飛曹の同乗者のもので、残念ながら任務に関する記録ばかりだった。
 休日を利用して自費で関係者を訪ね歩くなどしている吉田さんは、「これからも調査を続け、将来は記録に残したい」と決意を新たにしている。

(「宇垣特攻」を知りたい人は)
松下竜一その仕事〈第21巻〉私兵特攻―宇垣纒長官と最後の隊員たち (単行本)  松下竜一著
http://www.amazon.co.jp/gp/product/430962071X/sr=1-2/qid=1155387571/ref=sr_1_2/249-8232065-9478756?ie=UTF8&s=books

指揮官たちの特攻―幸福は花びらのごとく (文庫) 城山三郎著
http://www.amazon.co.jp/gp/product/410113328X/sr=1-3/qid=1155387623/ref=sr_1_3/249-8232065-9478756?ie=UTF8&s=books


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