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近現代史綜合スレ

1043とはずがたり:2017/01/03(火) 09:22:17
奈良の空襲をググってたら引っ掛かった。

☆米軍は京都の文化財を守ってくれたのに、何故日本軍は残虐なことをしたのですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1138917786

messihoukou_1944さん2010/4/215:25:00
☆米軍は京都の文化財を守ってくれたのに、何故日本軍は残虐なことをしたのですか?

補足
http://jig111.mobile.ogk.yahoo.co.jp/fweb/0312zvPQUO8mYCI6/0?_jig_=...

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fuji_mikasaさん 2010/4/809:38:31
京都は、関西の他の都市を爆撃したB29が京都上空で爆弾を捨てた時の被害は受けましたが、『本格的な空襲』は受けていません。その理由は
「空襲の順番が回ってこなかったから」
です。

アメリカ軍は、日本の各都市を分析して「空襲の優先順位」を設定しておりました。その優先順位に従って空襲を行ったので、昭和20年8月15日までに空襲の順番が来なかった都市は、ある程度大きな都市でも空襲を免れました。
非常に運が悪い都市は、昭和20年8月14日の夜に「最後の空襲」を受けて市街地の74%が焼失した埼玉県の熊谷市です。
アメリカ軍のリスト上の順番が一つ違えば、空襲を受けずに済んだと思われます。

『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』 (朝日文庫)
http://www.amazon.co.jp/dp/402261353X/

に、その「アメリカ軍が作った空襲の優先順位リスト」が載っております。

さて、文化財がたくさんある京都市や奈良市は、「人口は比較的多いが、軍事的に重要でない」と判定されて、このリストの下位に位置していたので、空襲を免れました。

よく言われる「京都や奈良は、文化財の焼失を恐れる親日家の学者の努力で空襲を免れた」という話が、根拠がないことも上記の本で論証されています。

上記の本には
「京都や奈良の空襲を防いだとされる親日家の学者は、実際にはアメリカ軍の依頼に応じて 『日本が降伏したら、日本から賠償金代わりに持ち去ることが出来る文化財のリスト』を作っていた。かなり杜撰なリストで、持ち去ることが不可能なもの、既に存在しないものも入っていた」
というオチも書いてあります。


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