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食品産業総合スレッド

1646とはずがたり:2015/12/09(水) 16:35:44

そんな事があったとわ。。
>1928年(昭和3年)、当時の寿屋は横浜にビール工場を持つ日英醸造(カスケードビール)を買収、ビール事業に進出する。「赤玉ポートワイン」で儲けた資金をもとに、大正期にウイスキー事業を始めていたが、信治郎は、仕込みから商品化まで時間のかかるウイスキーと、製造期間の短いビールの2本柱による経営を考えていた。…信治郎はカスケードビールを「オラガビール」と商品名を変えて値下げをし、さらには得意の宣伝攻勢をかけることでヒット商品に育て上げた。ところが危機を感じた大手メーカーが、自社の瓶がオラガビールに使われていると裁判を起こし、寿屋は敗訴する。こうなると新興メーカーは厳しい。

売り上げ好調なのに味を変えた プレミアムモルツの「現状打破」
いまに生きる「やってみなはれ」①
https://boss-online.net/issue-2015-01/article-528
ビールへの佐治敬三の思い

サントリーの主力ビールである「ザ・プレミアム・モルツ」は、2003年の本格発売以来、一貫して、売り上げを伸ばし続けている。

ビールや発泡酒、第3のビールなど、いわゆるビール類には毎年たくさんの種類の新商品が発売されている。しかしその中から定番商品となるのはごくわずか。ましてや右肩上がりで伸びているのは極めて珍しい。

プレモルの躍進によって、ビール4社の業界地図にも地殻変動が起こった。4位が定位置だったサントリーが、サッポロを追い抜き3位に浮上。しかも事業開始以来の悲願だった黒字化も果たした。プレモルはサントリービール史上の一大エポックとなった。

サントリーがビール市場に参入したのは1963年4月のこと。しかしそこから遡ること35年。第1次ビール進出があった。それはまさに創業社長である鳥井信治郎の「やってみなはれ」の具現化だった。

1928年(昭和3年)、当時の寿屋は横浜にビール工場を持つ日英醸造(カスケードビール)を買収、ビール事業に進出する。「赤玉ポートワイン」で儲けた資金をもとに、大正期にウイスキー事業を始めていたが、信治郎は、仕込みから商品化まで時間のかかるウイスキーと、製造期間の短いビールの2本柱による経営を考えていた。

信治郎はカスケードビールを「オラガビール」と商品名を変えて値下げをし、さらには得意の宣伝攻勢をかけることでヒット商品に育て上げた。ところが危機を感じた大手メーカーが、自社の瓶がオラガビールに使われていると裁判を起こし、寿屋は敗訴する。こうなると新興メーカーは厳しい。

しかもウイスキー事業は相変わらず大量の資金を食い続けている。そこでやむなく信治郎は、ビール事業の売却を決意する。サントリービールの最初の挫折だった。

ビール事業復活に執念を見せたのは2代目社長の佐治敬三だった。しかし63年に再参入を果たしたものの、当時の市場はキリン、サッポロ、アサヒの寡占状態にあり、そこにサントリーが割って入るのは至難の技だった。67年には「純生」を発売、火入れしたラガービール全盛だった時代に生ビール旋風を起こしたものの、上位3社を脅かすには至らなかった。…


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