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民主党スレッド

1とはずがたり:2003/11/13(木) 11:03
民主党関係全般
http://www.dpj.or.jp/

6884名無しさん:2010/09/21(火) 11:13:58
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100921ddm003010020000c.html
読む政治:長妻氏、無念の退任(その1) 仙谷氏、冷めた評価

 ◇失敗はない。小沢さん一派でもない。なぜ…

 「厚生労働大臣、細川律夫」。17日午後、仙谷由人官房長官が菅改造内閣の名簿を読み上げ、首相官邸への新閣僚呼び込みが始まったころ。官僚たちが笑みをかみ殺すのを背に、長妻昭前厚労相はタクシーで厚労省をそっと後にした。「はっきり言われたわけじゃないので……」。去り際、打診された首相補佐官就任について言葉を濁すさまに、落胆ぶりがにじんだ。

 民主党代表選で長妻氏はいち早く菅直人首相支持を表明した。4日の決起大会では「薬害エイズで役所を変える第一歩を踏み出した」と首相を持ち上げ、「官僚改革の同志」という自負ものぞかせた。

 それが内閣改造では首相の推薦人に名を連ねた閣僚でただ一人、閣外に去った。19日、テレビ朝日の番組で「人事評価基準など私がいなくなっても変わらない仕組みを埋め込んだ」と語った長妻氏。だが、前副厚労相で後任の細川氏は同日、NHKの番組で「役人にも協力してもらう」と述べ、長妻流の強権的な人事管理の見直しを示唆した。留任がないと知った長妻氏は、周囲に「大きな失敗をしたわけでなく、小沢(一郎元幹事長)さん一派でもない。なぜなんだ」と漏らしたという。

 「明日行けるところを探せ」。長妻氏は夏場から医療現場などへの視察を増やし、官僚たちは「代表選をにらんだ留任意欲」と受け止めた。就任後33回の視察のうち、14回は6月24日の参院選公示後だ。テレビカメラが後を追う視察は絶好の情報発信の場となる。それは厚労省の複数の幹部が「天下り根絶の指示が増えた」と感じ始めた時期とも重なっていた。

 代表選前日の13日朝。局長らを集めた朝礼で長妻氏は「明日からも何も変化はない。粛々と臨時国会の準備を」と指示した。節目感を出さないあいさつに、出席者は続投への強い意欲を確信した。

 ただ、その直前、複数の同省幹部が官邸の官房長官室に駆け込む「事件」があった。

 「長妻さんは官僚たたき一辺倒。政策が進みません」。そう訴える官僚たちに仙谷氏は「あいつはなあ……」とまゆをひそめた。

 仙谷氏の長妻氏に対する冷めた評価が今回の人事の背景−−。それが政府関係者の共通認識だ。仙谷氏は医療政策に明るく、野党時代は衆院厚労委筆頭理事を務め、同省に太いパイプを持つ。政権交代前夜、厚労省幹部の間には「仙谷厚労相待望論」も広がった。

 「大臣が代わり、役所も明るくなる」。同省幹部は晴れやかだが、長妻氏には仙谷氏らの言動が面白いはずはない。周辺によると、まだ首相補佐官就任を認めないのは、格落ちというばかりでなく「仙谷につぶされかねない」との疑心があるからだという。

6885名無しさん:2010/09/21(火) 11:14:51
 ◇埋まらなかった官僚との溝 期待の若手からも「政務三役におごり」

 長妻氏が視察に力を入れ始めた6月末は、長妻氏が温めてきた政策構想「少子高齢社会の日本モデル」がついえた時期でもある。

 政権交代直前の昨年8月、旧知の大学教授と会食した長妻氏は「社会保障財源を作り、国民生活を守る体制を整えたい」と熱く語った。その思いの結実が、2020年の日本が目指すべき社会保障の全体像を示す同モデルだ。長妻氏は実績に「日本モデル」を引っさげ、厚労相続投を目指していたフシがある。

 参院選の公示を控えた6月下旬。長妻氏は日本モデルを説明するため、首相官邸に古川元久官房副長官を訪ねた。しかし、社会保障の全体像は財源抜きに語れない。公表されると、選挙前に「必要な増税規模」を示さねばならなくなる。それを危惧(きぐ)した古川氏は「財源も絡むので全体の絵柄は官邸で考えます。待ってください」と受け流した。

 このとき長妻氏は、7月中にも有識者会議を発足させ、素案を公表する方向で調整に入っていた。「日本モデルは菅直人首相の掲げる『強い社会保障』の答えになる」。そう確信する長妻氏は官邸に「消費税増税は避けられない。だからこそ必要」と公表を働きかけた。が、そのころ仙谷氏は周辺に「秘書官には長妻のアポイントを入れないよう言っているんだ」と、苦笑していた。

 結局、長妻氏が首相と会えたのは参院選後。民主党は惨敗し、首相はそれどころではなくなっていた。

 「たまには官僚と酒でも飲みにいけよ」。仙谷氏は時折そう長妻氏を諭す。しかし長妻氏は幹部との関係修復よりは、役所の慣行に染まりきっていない若手に期待をかけた。5月には自らの肝いりで20、30歳代を中心とする職員の省内改革プロジェクトチーム(PT)を作った。

 それが7月28日、PTが公表した職員対象のアンケートは、長妻氏には皮肉な結果に終わった。省目標に「おごりの一掃」を掲げていたにもかかわらず、「政務三役におごりを感じる」との回答が48%を占めた。「政務三役から現実的なスケジュール感の観点から納得いく指示がある」との問いを肯定した職員は1%−−。

 「大臣の思いが私たちに伝わっていないのかもしれません」。PT代表は報告会に現れた長妻氏を気遣った。しかし、30日の記者会見でアンケートの感想を問われた長妻氏は「幹部を通じ、さらに強烈に私の考えを伝えなければならない」と言った。

       ◇

 政権交代、厚労相就任から1年。官僚との間にあつれきを残したまま役所を去った、長妻氏の功罪を振り返った。

毎日新聞 2010年9月21日 東京朝刊

6886名無しさん:2010/09/21(火) 11:17:32
http://mainichi.jp/select/seiji/choice/news/20100921ddm005010060000c.html
長妻氏、無念の退任(その2止) 不完全燃焼の長妻改革

 ◇貧困率公表では成果

 長妻昭前厚生労働相は年金、医療など社会保障制度の改革で実績を上げることはできなかった。だが、無駄の削減とともに、「貧困」と向き合ったことは成果に挙げることができる。その象徴が、昨年10月に踏み切った「相対的貧困率」の公表だ。全国民の「中央値」の所得水準の半分(06年114万円)より低い人の割合を示す数値で、日本は15・7%。メキシコやトルコ、米国に次いで4番目に高い。

 政府が貧困率の公表を避けてきたのは、削減目標設定を余儀なくされることを嫌ったのが一因とされる。しかし、長妻氏は算出を指示するとともに、昨年末には「ナショナルミニマム(政府が国民に保障する最低限の生活水準)研究会」を発足させた。

 「社会保障オンチ」「理念が見えない」。長妻氏にはそうした批判がつきまとう。とはいえ、ナショナルミニマムが明確になれば、最低保障年金をはじめ、「国が維持すべき社会保障の水準」はおのずと定まる。

 これまで10回開かれた同研究会に、長妻氏はすべて出席している。昨年暮れには研究会メンバーの一人、「年越し派遣村」を主導した湯浅誠内閣府参与を大臣室に招いた。就職と住居、生活支援を一括相談できる「ワンストップデー」が可能な都道府県を赤く塗った日本地図を指し、「日本中が赤くなるまで頑張りましょう」と湯浅氏に語りかけた。

 それでも「少子高齢社会の日本モデル」の頓挫は、やはり長妻氏の選択肢を狭めたようだ。結局、視察とともに拍車がかかったのは、官僚に毛嫌いされた管理強化だった。

6887名無しさん:2010/09/21(火) 11:18:31
 長妻氏が次々設置を指示した省内のプロジェクトチーム(PT)の一つに、「予算の支出状況に係る情報公開に関するPT」がある。

 ネット上で業者名を検索すると、厚労省との契約関係が詳細に表示される仕組みを作るのが目的だ。米政府のシステムを参考に、長妻氏が検討を命じた。

 ところが、9日の発足時から官僚側は消極的な態度に終始した。「他省庁の先駆的モデルにしてほしい」。そう訓示した長妻氏に、笹島貢会計課監査指導室長は「総務省が全省庁共通のシステムを開発中です」と伝え、厚労省独自では動けないと説明した。

 「霞が関の悪い癖だ。全体の動きを待っていたらいつになるか分からない」。長妻氏は一喝したが、横並び意識が強い役人たちは腰が引けたままだ。

 長妻氏にはそれが怠慢にしか映らない。一方、官僚側は「省単独では無理な指示を出し、『やる気がないのか』と責め立てる。言いがかりだ」(幹部)と感じている。

 こうしたすれ違いの積み重なりが、長妻氏と職員の間に深い溝を生んだ。それは最後まで埋まることがなかった。【鈴木直】

毎日新聞 2010年9月21日 東京朝刊


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