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地域綜合スレ

2247とはずがたり:2006/03/07(火) 09:14:00

<近畿>和歌山県

「小さな合併」選択<上> 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/wakayama/kikaku/044/1.htm

50年の歴史を閉じる南部川村。美しい歌声と勇壮な太鼓の演奏は新町へのプロローグ(南部川村で)
 十月一日、県中部の国内有数のウメの産地、南部町と南部川村が合併し、人口一万五千人近い「みなべ町」が誕生する。今月十八日、南部川村の閉村記念式典で、山田五良村長(74)は続々とつめかける出席者とあいさつを交わしながら、半世紀前の合併劇を思い起こしていた。

 当時、県中部では南部町と岩代、上南部、高城、清川四村の合併構想が進んでいた。が、五町村が一つになる合併は直前に立ち消えた。代わりに国道42号沿いの沿岸部に近い南部町と岩代村が合併して南部町に、山間部の上南部、高城、清川の三村が南部川村になった。

 「私は上南部村の総務課職員として合併業務にまい進していたので、最終的に五町村が二つに分かれた時はがっくりしました。真相はよく分かりませんが、地理的な影響が大きかったのでしょう」と山田村長は振り返る。
■   □

 南部町、南部川村の住民の多くが歓迎する合併。ただ、ここへたどり着くまでにはう余曲折があった。

 二〇〇二年四月、両町村は、田辺市や上富田町などの計十市町村が参加した田辺広域任意合併協議会に加盟した。しかし、両町村とも「このままでは、人口規模で優る田辺市などの陰に埋もれてしまう」と危機感を募らせた。

 南部町は二か月後に離脱。町が実施した住民アンケートで「南部川村との合併」を望む声が圧倒的に多かったためだ。当時の山崎繁雄町長(72)は、青年団役員らと懇談を重ねた。南部川村も「市町村合併研究会」を作り、「南部町との小さな合併が良い」との答申を得た。

 両町村は合併協議会を〇三年十一月に設立。協議は進み、昨年十二月、山崎前町長と、山田村長とが合併に調印した。県内の市町村合併は実に四十年ぶり。平成では第一号だ。木村良樹知事も「合併のモデルケースにしたい」と評した。

 合併協設置からわずか約一年余りで調印にまでこぎつけたケースは珍しい。ただ、国民健康保険税の差はどう解決するのか。水道の形態も南部町は上水道、南部川村は簡易水道と異なり、今後、水道料金問題も新たに浮上しそうだ。新町誕生の経過と、新たな課題を探ってみた。


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