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農業総合スレ

922チバQ:2009/11/01(日) 09:51:01
漁業スレってないから、、、ここかな?
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20091101k0000e040002000c.html
漁船転覆:奇跡の生還 船室に海水 船底で体寄せ合い

第1幸福丸の略図 伊豆諸島・八丈島(東京都八丈町)近海で転覆した鎮西町漁協(佐賀県唐津市)所属のキンメダイ漁船「第1幸福丸」(8人乗り、19トン)に閉じ込められ、奇跡的に生還した甲板員3人が31日、静岡県下田市の伊豆漁協で記者会見した。救助されるまでの約90時間、3人は後部船室ではなく、浸水を避けて床下のわずかな空間に身を寄せ合っていた。宇都宮森義さん(57)=静岡県下田市▽早川雅雄さん(38)=大阪市平野区▽鳰原(にゅうばら)貴光さん(33)=静岡市駿河区=らの話から、転覆後の船内の様子が徐々に浮かんできた。

 船が転覆したのは10月24日午後8時14分ごろだった。鳰原さんの腕時計で確認した。午後3〜4時は天候は悪くなく、牧山新吾船長(40)はかじをとり、残る乗組員7人全員が居住区といわれる後部船室(最大値で高さ1.7メートル、幅2.9メートル、奥行き2.2メートル)で寝た。目が覚めた時、船は左の方に倒れ、床が壁になり、どこが天井でどこが床か、前後さえ分からなくなっていた。

 操舵(そうだ)室にいる牧山船長が連絡用ベルを鳴らした。声は聞こえたが、何を言っているのか分からない。岩本海人さん(31)=福岡県古賀市=と浜田広之さん(41)=下田市=が外に出ていくのが見えた。鳰原さんは「助けに来てくれるかなという思いがいっぱいでした」。それ以前にも2人が外に出たようだが分からない。頭上のスクリュー付近から「おーい、おーい」という浜田さんらしき声が聞こえた。

 船室のハッチは調理室の冷蔵庫にふさがれ、閉じ込められてしまった。早川さんは「僕ら3人は逃げ遅れた」と振り返る。転覆まで3分あったか、すぐだったかはパニック状態ではっきりしない。「いつ、どういう死に方をするか。いつ、息が吸えなくなるか。恐怖でいっぱいだった」。鳰原さんはそう話した。

 転覆して上になった床板が落ち、頭上にわずかなすき間ができていた。「キール(竜骨)」と呼んでいる床下部分で、エンジンとスクリューを結ぶシャフトが通り、荷物置き場にも使う。立てるほどの高さはなかったが、船室は浸水し始めており、水を避けられる空間は、そこしかなかった。

 3人は狭い「天井裏」によじ登り、骨組みに床板を敷いて、体を密着させてあおむけになった。「スペース的にそれぐらいしかなかった」。「キール」は機関室に通じ、船内の空気が行き来するので息苦しくなかったという。船底のペンキの薄い場所から透かして見える光で昼夜を判断した。

 何日かすると、冷蔵庫でふさがれたハッチにすき間ができ、光が差した。「経験が少なくて、とにかく、この暗闇から抜け出たい。出たら助かると、その時は思った」。外に出ようとする鳰原さんを2人が止めた。早川さんは「泳いで出られるような感じじゃないと思った。無理して出るなら、ここで(救助を)待っていた方が……」と語った。

 食べ物は一切無かった。腰の高さほどに浸水した船室に下り、水の入ったペットボトルを見つけた。一つは口が開いておらず、もう一つは飲みかけ。異様な味がしたという。

 台風20号が近づいており、2、3日は救助が来ないと覚悟していた。3人は「会話はほとんどなかった。たまに『生きてるか』と声を掛け合うぐらい」。鳰原さんは「後半は意識がほとんどない状態だった」と言い、宇都宮さんは「生きることばかり考えていたから」。早川さんは「助かるか、助からへんか。半信半疑の気持ち。半分はあきらめていた」と話し、家族のことを思ったという。

 「今日あたり来るのでは」と期待した5日目、救助船のスクリュー音こそ聞こえなかったが、船底をコンコンたたかれたのが分かった。3人は思いっきり船底をたたき返し、「おーい、ここだ。助けてくれー」と叫んでいた。【山田毅、田口雅士、平林由梨】


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