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農業総合スレ

1208荷主研究者:2011/04/09(土) 17:34:49

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110402t13056.htm
2011年04月02日土曜日 河北新報
農業再建厳しい前途 宮城・農地の11%浸水

<がれき散乱>津波の被害に遭った田んぼで、農業復興の難しさを語る佐々木さん=3月28日、仙台市若林区

大震災から半月以上過ぎても海水に漬かったままの田んぼ。がれき撤去に塩害と、懸念材料は多い=3月28日、仙台市若林区

 東日本大震災で、食糧基地・東北の海岸線の農地が津波で浸水した。農林水産省が衛星写真などを基に分析した結果、海水につかった田畑は推定で青森79ヘクタール、岩手1838ヘクタール、宮城1万5002ヘクタール、福島5923ヘクタールに及ぶ。最大の宮城では農地の11%が被害を受けた。農道や揚排水設備が大きな被害を受け、津波で流された粗大ごみが作付けを阻む。住む家をなくした生産者も多い。行く先、土中に染み込んだ「塩」の害も懸念される。

 「3年から5年ぐらいは収穫できねぇんでねが」。大津波が襲った仙台市の水田地帯、若林区荒井で後片付けに当たっていた専業農家佐々木均さん(58)は首を振った。

 佐々木さんの家は海岸線から3キロ弱。それでも1メートルほどの海水が押し寄せ、床上まで浸水した。

 「見ろよ。この家やら家財やらの残骸」。目が向かった先は、まるで粗大ごみの埋め立て処分場だ。100万都市の郊外とあって住宅も多く、災いに拍車を掛けた。

 「誰がやるんだが分がんねぇげど、片付けるだけで1年はかかるだろう」と佐々木さん。「それから作付けしても稲は塩害で枯れでしまう。昔経験した農家はみんな言ってるよ」

 今は日々の生活立て直しで精いっぱいで、農業のことまではあまり頭が回らない。だが、先行きの厳しさだけは分かる。

 佐々木さんが代表理事を務める「仙台イーストカントリー」は水稲42ヘクタール、大豆などの転作作物22ヘクタールの経営面積を持つ市内最大規模の農事組合法人だ。

 地域農業の担い手として89軒の農家から、ざっと400筆の田んぼを引き受けている。

 経営面積64ヘクタールのうち、3分の2ほどは津波に漬かったと推測している。そればかりではない。トラクター3台、田植機とコンバイン各1台、乾燥機3台が、津波が引くまで、3日ほど水に漬かった。軽トラック2台、3トン車1台もやられた。5000万円を超える農機具類は壊れたかもしれない。

 農機具が使えなかったら、生き残った田んぼはラジコンのヘリコプターを使った「直播」で田植えをしようか。佐々木さんはそう考え始めている。

 「農業しかできねぇから、この先も農業は続けるつもりだ。今年の食いぶちも稼がねぇど駄目だし。でも、周りの農家は『もう嫌だ』って。引っ越す人も多そうだし、耕作放棄が相当出るべな」

 若林区では、経営面積が40ヘクタール以上あった「荒浜農産」の専務理事二瓶幸次さんをはじめ、友人の担い手農家も数多く亡くなった。農業再建の前途は多難だ。

 佐々木さんは「今年は、何も作らなくても、転作したごとにするどかして、国から支援してもらわないと、農家は生きていげねぇ」と訴える。

 大震災は想像も付かない不幸をもたらした。が、それにくじけるわけにはいかない。

 「この先、まず役所が離農する人の農地をいったん買い集める。そして今までのような30アールじゃなくて、1ヘクタールの大っきな区画の田んぼにして担い手に貸し出さないと、この辺の農業は駄目だ。担い手がますます少なくなったがらね」

 災いを転じて福となすには、その方法しかないと佐々木さんは思っている。
(長谷川武裕)


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