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農業総合スレ
1097
:
チバQ
:2010/05/23(日) 13:09:54
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100523ddm041040042000c.html
口蹄疫:スーパー種牛殺処分 自慢の息子が… 「忠富士」育ての親、絶句
◇「働き盛り悲しい」
宮崎県で感染が多発する口蹄疫(こうていえき)は「スーパー種牛」の命をも奪った。22日、殺処分された「忠富士」は、避難のため感染発生地から離れた畜舎に隔離されていたが、無事を祈る畜産関係者の思いは届かなかった。同じ施設にいる5頭にも感染の恐れは残る。官民挙げた長年の努力で、松阪牛をはじめ全国銘柄牛の素牛(もとうし)供給元ともなった宮崎牛ブランドの存亡の機に関係者は青ざめる。【川上珠実】
「人間で言えば30代前後の働き盛り。これからが楽しみだったのに……。何とか生き延びてほしかった」
忠富士を生み、育てた宮崎市の畜産農家、川越忠次さん(52)は感染疑いと殺処分の報に声を詰まらせた。
02年6月22日。忠富士が生まれた時のことは忘れない。
「足の節が腫れたみたいに太くて。えらい大きな牛が生まれたって家族で喜んだ」
スーパー種牛と呼ばれた「安平」の孫に当たり、その遺伝子を引き継いでいた。自分の名前の一字を子牛に与えた。のんびりしておとなしく、人を怖がらなかった。
川越さん方で生後8カ月まですくすく生育。その後、宮崎県畜産試験場(同県高原町)から県家畜改良事業団(高鍋町)と種牛候補の花道を歩み、07年1月、宮崎牛ブランドの種牛に認定された。
川越さんは、忠富士の子牛を肥育する農家の声を聞くのが何よりの楽しみだった。
「普通は400キロくらいしか取れない枝肉が750キロも取れた」と感謝されたこともあった。自分のことのように喜んだ。
自慢の“息子”に会うため、事業団にも定期的に足を運んだ。最後に忠富士と会ったのは、口蹄疫が表面化する前の4月9日だった。「おい、元気でやってるか。おれのこと覚えちょっか」と頭をなで語りかけた。「反応? 相変わらずのんびりしていた」と力なく笑った。
22日未明、ニュースで避難していた種牛6頭のうち1頭の感染疑いを知った。まんじりともせず夜を明かし、「忠富士」と知って絶句した。
「手を合わせて無事を祈っていた。かわいそうでかわいそうで……」
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