したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

都市計画道路・高速鉄道スレッド

988とはずがたり:2007/11/13(火) 23:58:24
なんと,色んな建設経緯が錯綜して今の三田線があるんですな。

●西馬込―五反田―田町(三田)―日比谷―春日町―巣鴨―大和町(板橋本町)―上板橋・志村(高島平) 軌間も1435m・西馬込〜泉岳寺間と馬込検車場(現・馬込車両検修場)は浅草線と共用
●←大和町(板橋本町)―戸田―浦和・大宮
●←志村(高島平)―和光市→上福岡・川越
●←西馬込―日吉―港北NT―中山
●田園都市線←大岡山―五反田―三田→

東急と東武に袖にされたのに敢えて1067mmでの建設をしたのは相互乗り入れが結局必要という見識に支えられてたのだな。
併し結局高島平以遠の延伸は有楽町線・副都心線・埼京線等の建設で不要に。
目黒方面も南北線があるから別に三田線が必須という訳でもなく,1435mmで建設して京急久里浜―西高島平とかで運転した方が京急の都心部への連絡不足の解消にもなったし馬込の車検場の共用も出来たし良かったのではないか?残念の極みである。

都営地下鉄三田線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/都営地下鉄三田線

建設経緯

直接のルーツとしては、1957年(昭和32年)の建設省告示第835号「東京都市計画高速鉄道網」で5号線(現在の東京メトロ東西線)の分岐線として示された大手町〜下板橋間の計画が元となっている。1962年(昭和37年)の都市交通審議会答申第6号において、分岐線は6号線として切り離され、その後5号線を営団が、6号線を東京都が建設することになった。なお本答申では、6号線は西馬込方面より五反田・田町(三田駅)・日比谷・春日町・巣鴨および大和町(やまとちょう、板橋区。国道17号(中仙道)と環七が交差する付近で、後の板橋本町駅となる。)の各方面を経て上板橋(上板橋駅)および志村(現:高島平駅)の各方面へ至る路線として示された。軌間も1435mm(標準軌)を採用予定で、西馬込〜泉岳寺間と馬込検車場(現・馬込車両検修場)は浅草線と共用する予定であった。

しかし、路線計画については、1960年(昭和35年)に大和町(やまとちょう)〜上板橋間を取りやめて戸田への延伸計画を明らかにした。これは、東京オリンピックのボート会場となった戸田漕艇場への観客輸送のためのものであった。また、埼玉県側も戸田から先の延伸を計画し、大宮へ路線を建設し、運営を埼玉県で行う「県営地下鉄構想」を打ち出した。戦前に計画されながら実現されなかった東京大宮電気鉄道を蘇らせる目論みもあった。だが、1964年(昭和39年)の東京都交通審議会の答申により、大和町(やまとちょう)〜上板橋間を取りやめて志村から東武東上線の大和町(やまとまち、現・和光市)まで延伸すること、並びに泉岳寺〜西馬込間は1号線の分岐線とし、6号線は泉岳寺から別線(東急泉岳寺線の路線名)で桐ヶ谷へ延伸し、池上線を経由して田園都市線(当時、現在の大井町線)と接続するよう改訂された。また、これに伴い、軌間も1067mm(狭軌)に変更された。その後、東武から「上板橋を乗り入れ改良する余裕がない」との申し入れがあり、東武が志村駅〜大和町駅間の連絡線(東上本線支線)を建設して接続する計画に改められた。また馬込検車場の共用ができなくなったため、三田線には専用の車両基地が必要になり、新たに志村検車場を計画に加えた。

上記の経緯から、当初、路線や車両の規格を決定する際、三田線は車体寸法や保安装置などの面で東武鉄道の規格が踏襲された。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板