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都市計画道路・高速鉄道スレッド
3097
:
とはずがたり
:2017/09/09(土) 22:36:07
他方、「首都高撤去による景観回復」という主張を疑問視する視点もある。
首都高そのものの美しさを説くのが、高速道路研究家の清水草一氏だ(「乗りものニュース」16年1月10日掲載「空、本当に取り戻すべき? 日本橋と首都高、日本らしいのは」trafficnews.jp/post/47684/)。同氏によれば、首都高を撤去しても、景観は回復しない。というのも、空の下に現れるのは、コンクリートで護岸された日本橋川と地味な石造りの橋にすぎないからだ。それに引きかえ、首都高には、東京オリンピックに向けて東京を改造した「日本人の魂」が込められている。清水氏は首都高をエッフェル塔にたとえる。建設当時、パリの街中に出現した鉄塔は、そのみにくさを批判された。しかし、時と共に街に溶け込み、今ではパリに欠かせない建築物になっている。
清水氏が提案するのは、複雑怪奇な構造を持つ江戸橋ジャンクションを眺めるための遊歩道の整備であり、さらには首都高の世界遺産登録だ。軍艦島や旧八幡製鉄所のように、「世界初の都市高速道路網」として、つまり近代産業遺産として首都高をとらえ返そうというのだ。これは、「機銃掃射をも圧倒するかのように咆哮する自動車は、サモトラケのニケよりも美しい」と書いた詩人F・T・マリネッティの思想に共鳴する観点と言っても良いだろう。
撤去推進派の抱く素朴すぎる「日本橋」イメージ
また、建築史の視点から首都高撤去を批判するのが五十嵐太郎氏である。五十嵐氏は、首都高撤去推進派が抱く日本橋イメージの素朴さを批判する(『美しい都市・醜い都市 現代景観論』中公ラクレ新書)。首都高を撤去すれば景観が回復され、江戸の面影が取り戻されるという意見がある。しかし現在の日本橋は、明治期にヨーロッパの橋を手本に造られた。首都高を撤去しても江戸の面影は戻るはずもなく、むしろ、首都高と共に日本橋川沿いの近代建築が破壊される可能性がある。
こうした理由から、五十嵐氏も清水氏と同様に、首都高が生み出すダイナミックなテクノスケープ、日本橋から江戸橋にかけてのカーブの魅力を強調し(06年7月10日発行/雑誌「10+1」No.43〈リクシル〉掲載「景観は記号ではない」
http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/663/
)、首都高そのものの美しさに光をあてるのである。
現在の日本橋は1911年に完成した。完成当時はどのように評価されていたのだろうか。
橋の架け変えプロセスについて、読売新聞が詳しく報じている(以下、同紙からの引用は、適宜、歴史的仮名遣いや旧字を書き改めた)。まず、1908年に始まった工事の様子を手厳しく批判する記事がある。
男女の一群唄を歌ひ、拍子をとりて鉄錘を引きずり上げ、これを落としては、又唄ふ、その悠長なること、まことに言語道断の至りなり。(1909年4月16日)
記者によれば、「時は金なりとの思想」のなかった江戸時代ならば木遣りを唄うことも許された。だが、「労働の効果によりて、国の強弱が定まらんとする今日」には、こうした怠惰は許されない。工事は3年予定だが、低く見積もっても「その一年半は木遣りの為に費さるる」。そのために「交通不便を忍ぶ所の東京市民は、よくよくおめでたき人民」だという。日本橋とは近代化の象徴であり、江戸の前近代性の対極に位置づけられていたことがわかる。
1911年4月3日に日本橋は開通した。4月1日から3日間、読売新聞は「日本橋開通記念号」を発刊した。記念号の主な記事を掲載順に挙げると次の通りである。
●塚越停春「日本橋の歴史」
●工学博士・塚本靖「西洋の橋と日本橋」
●文学博士・関根正直「高札と捨て札と落し話」
●工学士・田邊淳吉「記念建造物としての日本橋」
●関巖二郎「浮世絵史上より見たる日本橋」
●主任技師・工学士 米元晋一「竣工後の感想」
●黒田鵬心「シンボルとしての日本橋」
●八十六歳 齋藤あい「日本橋今昔物語」
●笹川臨風「橋頭語」
●饗庭篁村「江戸の通人と日本橋」
●某工学博士「建築家の見たる日本橋」
●黒頭巾「趣味の日本橋」
●如来「日本橋の女」
●岡野知十「俳句に於ける日本橋」
●大島宝水「江戸時代の日本橋」
寄稿は、日本橋を歴史や風俗とからめて論じたものと、橋の設計や装飾を論じた建築学的なものに大別できるが、後者からの批判は手厳しい。
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