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都市計画道路・高速鉄道スレッド

2347チバQ:2013/09/01(日) 22:41:20
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130901-00001826-kitanihon-l16
市電愛され開業100年 富山・住民ら活性化期待
北日本新聞 9月1日(日)14時26分配信



開業から100年を迎えた市内電車の思い出を振り返り、活性化の期待を寄せる轡田さん(右)=富山地方鉄道南富山駅前
 富山市中心部を走る「市電」の開業から、1日で丸100年を迎えた。大正時代から市民の足となり、県都の発展を支えてきた富山のシンボル。車社会が到来した高度経済成長期の1960年代後半以降、利用者は減ったものの、近年は公共交通の重要性が見直されている。沿線住民や元運転士らは思い出を振り返り、移りゆく街並みの中で今も変わらず走り続ける市電の活性化に期待を寄せた。(社会部次長・吉田博昌)

 ガタンゴトン、ガタンゴトン…。市電が富山地方鉄道南富山駅前からゆっくり動き出した。「100年も走っているんだなあ。すごいことだね」。駅前で約60年間続く園芸店を営む轡田宣久さん(71)=富山市大町=がしみじみと話す。市電を見て育ち、小さいころから利用してきた。「車がない時代はすごいにぎわいだった」。家族と買い物に出掛けたり、お年寄りが乗り合わせたりすると、自然と語らいの場が生まれる。そんな温かい雰囲気に魅力を感じてきた。

 日本海側初の路面電車として開業したのは1913(大正2)年。堀川村(現富山いずみ高校の敷地)で県の博覧会が開かれるのをきっかけに、富山駅から会場をつなぐ輸送手段として計画された。20年に市営となり、43年からは富山地鉄が運営している。

■心の古里
 「市電は心の古里」と言うのは富山地鉄OBの上谷博之さん(71)=同市大山北新町。60年から車掌、64年から24年間は運転士を務めた。思い出深いのが63年の「三八豪雪」。軌道は約30センチの圧雪状態となり、スコップとつるはしで雪かきに当たった。「お客さんに一番利用されていた時代」。その時代に働けたことが誇りになっている。

■市民の足
 同市鹿島町で喫茶店「珈琲駅ブルートレイン」を営む中村正陽さん(71)は荒町電停に近い家で生まれ、「自家用車」のように利用してきた。市電はかつて全国の45都市で走っていたが、現在残るのは17都市。市民が利用することで守られてきたという思いがある。「利用者が減っても市民の足としての役割は変わらない」と話す。

■役割大きく
 環境に優しい交通機関として見直されたことを背景に、2009年には0・9キロの軌道が敷設され、環状線が開通した。富山レールクラブ会員の大橋誠司さん(68)=滑川市上島=は市電の写真を18歳の時から撮り続けてきた。「長い不遇の時代を乗り越え、新しい時代に適用するようになった」と喜ぶ。富山ライトレールと市電をJR富山駅高架下でつなぐ南北接続が計画されており「港町の岩瀬から中心部まで乗り換えなしで移動できるのは魅力。市電の役割はますます大きくなってくる」と期待する。

 南富山駅前は、山王まつりと神通川の花火の時には今も昔のように乗降客でごった返す。「市電は『おらっちゃの足』。市電の活性化が街の活性化にもつながる。1世紀の節目に大切さが見直され、いつまでも残していきたい」と轡田さん。市電の音が響く商店街で、未来へ願いを込めている。


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