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都市計画道路・高速鉄道スレッド
2109
:
チバQ
:2012/08/17(金) 21:33:56
■圏央道、「中央−東名」は2013年、「関越−東北」見通し立たず
国土交通省によると、圏央道は整備が着々と進んでいる。3月には中央道との接続地点である八王子JCTから高尾山ICまでが開通。関越道と中央道を経て高尾山までが完成した。
中央道の八王子JCTと東名の海老名JCTとをつなぐルートも工事が進んでおり、今のところ2013年度の完成を予定している。一方、東日本高速道路(NEXCO東日本)によると、関越道と東北道、東北道と常磐道をつなぐルートの開通はどちらも2014年度以降。用地買収が難航しており、当初計画から完成予定が大幅にずれ込んでいる。現時点では見通しが立っていないようだ。
■外環道「練馬−世田谷」、ようやく工事再開
では外環道はどうか。約40年もの間、計画は事実上凍結されていたが、ここにきてようやく動き出した。4月20日、国交省が「練馬−世田谷」間について、NEXCO東日本、中日本に事業許可を出したのだ。
この区間はもともと、1967年(昭和42年)に都市計画決定した。しかし周辺住民の反対運動は激しく、計画は凍結。自民党政権末期に40メートル超の地下を通る計画に変更することで建設は再開したが、政権交代で再び凍結していた。
流れが変わったのは東日本大震災。緊急時の物資輸送用として見直され、2012年度の予算に盛り込まれた。東京都が招致を目指している2020年の夏季五輪までの完成を目指すという。ただ、用地買収は遅々として進んでおらず、先行きの見通しは明るくはない。
■首都高の渋滞、横羽線開通で激増
「3環状」整備の遅れもあって、渋滞が慢性化している首都高速。名物ともいえる渋滞はいつごろから始まったのだろうか。
首都高ができたのは1962年(昭和37年)。当時の東京は自動車の急増で激しい渋滞が起きており、「このままでは1965年(昭和40年)にも東京の交通網は破綻する」とまで言われていた。そこで政府は1964年(昭和39年)の東京オリンピックを前に急ピッチで首都高を整備。現在の首都高が河川の上を走っていたり、ビルの間を縫うような急カーブだったりするのは、実現可能性を最優先して整備した歴史があったのだ。
首都高は急カーブが多く、高速道路というには無理がある設計だ(東京都豊島区)
首都高速会社の前身、首都高速道路公団の社史「20年史」によると、開業3年目、1967年度(昭和42年度)の自然渋滞は18回だった。このころはまだほとんど渋滞しなかったようだ。これが翌68年には102回に激増する。この間、何があったのか? 公団の元理事長、林修三氏は「20年史」の座談会で振り返る。
「最初に顕著に渋滞が出たのは横羽線が開通したときです」。68年の7月から11月にかけて、横浜と羽田空港をつなぐ横羽線が整備された。65年には1日平均8万台だった走行台数が、68年には50万台に急増。とたんに渋滞が激しくなったという。それにしても、開業わずか4年目で大渋滞とは、どういう需要予測をしていたのか。
その後渋滞はさらに激しくなり、自然渋滞の回数は69年は1325回、70年には2161回とふくれあがる。バブル期の87年(昭和62年)には1万975回にまで増えた。首都高が「駐車場」と揶揄(やゆ)されていた時期だ。ちなみに首都高会社によると、現在では渋滞回数を数えていないという。「渋滞の長さと発生時間を掛け合わせた『渋滞量』という指標を使っています」(渋滞対策グループ)とのことだった。
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