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都市計画道路・高速鉄道スレッド
193
:
とはずがたり
:2003/09/28(日) 14:36
http://www.niigata-nippo.co.jp/kokyo/kokyo-0419.html
<7>危機感 ・
商店街再生へ 住民自ら行動
信濃川左岸、柳都大橋たもとのほど近く、南北に伸びる「こんぴら通り商店街」は現在、ひっそりとたたずむ。港町新潟の発祥地ともいわれ、大正時代は新潟一のにぎわいと評判だった。商店街を取りまとめる西厩島町町内会の大西春子会長(72)は、海産物商の家に嫁いだ当時を思い出す。「店が狭い小路にまで軒を連ね、市も並んだ。本当に無い物がないほどだった」
バブル崩壊後、急速に客足が落ち込んだ。現在の店舗数は往時の半分以下の24軒。店の跡が駐車場に変わってできた空間もちらほら目立つ。約150メートルの通りのうち、北端約20メートルが万代島ルートにかかる。この部分にあった花月公衆市場は3月末、取り壊された。
ルート計画では、信濃川右岸から柳都大橋に続いてきた高架道路が、この北端の手前で着地する。「橋ができたら、常連客は大型郊外店に通うのではないか」「幅広い道路を横断してまで買い物に来るだろうか」。客減少に追い打ちをかけかねないルート計画の浮上は、商店街に危機感をもたらした。
■ ■
「このままでは通りはさびれるばかり。昔のこんぴらに戻ろう。それには昔を知っているお年寄りを呼び、思い出を語ってもらおう」。1997年、店主ら約10人に市が加わり、商店街活性化プロジェクトがスタートした。少子高齢化に備え、お年寄りが快適に歩ける通りをめざそうという大西さんの提案を受けたものだった。
会合や勉強会を開き、車道と歩道のバランスなどを議論した。その結果、通りの中で車を減速させるために車道をせばめてゆるく蛇行させ、その分歩道を広げるなど改良の方向が決まった。議論開始から5年を経て念願はかない、5月から工事が開始される。7月に完成の予定だ。
歩行者を重視した商店街再生プロジェクトには、〝車社会への抵抗〟もあった。通りの周辺町内の住民や市から「通りを交互通行にしてほしい」との声も出たが、商店街を挙げて断り、従来の一方通行維持を守った。
■ ■
「(計画に)反対したって何したって、私たちは残る所なんだ。生きていかなければなりませんから」。大西さんの鋭い口調に、にぎわい復活への情熱がほとばしる。カメラ店主の小林壹朗さん(69)は、もし柳都大橋ができなかったら、何もしないまま商店街は消滅していただろうと思う。「計画に自分たちの危機意識が奮い起こされ、行動を起こすきっかけになった」
大西さんらの思いを受け継ぐ若手も燃える。酒店5代目の吉川章大さん(31)は「暗い話題が多い今、人々がきっと求めている心のふれあいは大型スーパーでは味わえない」と商店街の価値を強調する。「不安の声も聞くけど、近くの道路の交通量が増えるんだから逆にチャンス。個々の店のやる気とやり方次第で、客は来る」と前向きだ。
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