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都市計画道路・高速鉄道スレッド
188
:
とはずがたり
:2003/09/28(日) 14:24
http://www.niigata-nippo.co.jp/kokyo/kokyo-0411.html
第5部 2本の「橋」
万代下流 同時開通の真相
春の日差しを受け輝く信濃川に、柳都大橋のスマートなアーチが白っぽく浮かぶ。同橋から直線でわずか2.4キロほど下流の川底では、新潟みなとトンネルの建設が順調に進む。新潟市の信濃川河口部。公共事業への逆風が吹きすさぶ中で、万代橋下流は別世界のようだ。
柳都大橋300億円、みなとトンネル1200億円。国土交通省直轄の両事業に投入された額だ。皮肉にも構造改革の時代に開通する、至近距離に建設された2つの大動脈。昨年1月の省庁再編まで、旧建設省、旧運輸省が別々に手がけていた。
<1>至近距離 ・
<揺らぐ公共王国 INDEXへ戻る>
わずか2キロに 1500億円を投入
「初めは、橋もトンネルもどちらもということではありませんでした」。2つの〝橋〟からそれほど遠くない同市入船町の自宅で、松田忠三さん(71)は述懐する。元同市職員で、都市計画部長などを務めた。
「そもそも、先行していたのはトンネル。運輸省がかなり熱心だった印象がある。橋とトンネルの両方が実現したのは、事業主体が建設と運輸に分かれていたこと、景気も良かったことが大きい」と記憶をたどる。
■ ■
万代橋下流にもう1本、橋を―地元住民の要望が、いつの間にか万代橋から500メートル下流の柳都大橋、海岸部のみなとトンネルの2つの構想に膨れ上がるのは、1983、84年度に行われた新潟港周辺地域整備計画調査後だ。万代橋下流域には、運輸省所管の港湾区域と建設省が受け持つ都市計画区域の2つがあった。調査は、この2つが住み分ける、新潟西港周辺の地域整備計画策定が目的だった。
だが、国や県のOBらは「建設が橋を造り、運輸がトンネルを造る構想は、両省のバランスを取った妥協の産物」「両省の顔を立てた結果」と口をそろえる。橋とトンネルには官の側の思惑、省益の調整が絡み合っていた。
■ ■
「当時は新幹線、高速道路ができて、新潟市の拠点性が増していった時期だった。市や県の都市計画サイドから陳情を受けて下流部に橋を架けようと知恵を絞った結果、あの調査を実施することになった」。建設省関係者は、初めに橋ありきの調査だったと強調する。
一方、運輸省には調査実施以前から、事業量を確保したい事情があったといわれる。鈴木善幸内閣、次いで中曽根康弘内閣と続いた昭和50年代後半は行政改革が叫ばれ、旧第一港湾建設局など出先機関の整理統合がささやかれていた。行革がトンネル計画を後押しした、というわけだ。
「あのころは、事業を発掘したいという運輸省の意向を強く感じた」「危機感から存在理由を明確にしたいとの思いがあったのではないか」。当時を知る関係者はこう、真相を語っている。
■ ■
新潟市を流れる信濃川に5月19日、柳都大橋と新潟みなとトンネルが同時開通する。構想浮上から20年近くを経た2本の〝橋〟は、経済成長を背景に官の主導で計画された。いま、景気は低迷を続け、公共事業は社会の険しい視線を浴びる。時代と寄り添う中で生まれ、時代から徐々に距離を置かれ始めた巨大プロジェクトの姿を追った。
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