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都市計画道路・高速鉄道スレッド
1620
:
チバQ
:2009/12/23(水) 17:51:27
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/toyama/news/20091223-OYT8T00249.htm
セントラムきょう発車
環状線36年ぶりに復活
環状線の復活を心待ちにする藤野松雄さん(富山駅前に停車中の路面電車内で) 富山市の路面電車環状線が23日、36年ぶりに復活する。環状線を循環するのは次世代型路面電車(LRT)「セントラム」。白、黒、銀の3編成のおしゃれな車両は、にぎわいを取り戻したい同市中心部の新しい顔となる。かつての環状線を走らせていたベテラン運転士も感慨深げに、この日を迎える。
「待ったかいがあった。車両は静かで本当に素晴らしい」。セントラムを運行する富山地方鉄道(富山市)で、路面電車運転歴44年の藤野松雄さん(65)は今月、セントラムを試運転し、胸がいっぱいになった。引退を1年延長し、開業の日を待っていた。
運転士になったのは21歳の頃。当時の環状線は、一度乗務すると、1周20分強のルートを5周し、30分の休憩を挟んでまた運転し、多い日でこれを4回繰り返した。
「同じところをグルグル回って、まるで動物園のクマ」と冗談まじりに振り返るが、当時、行き交う人でにぎわっていた繁華街を循環する環状線乗務は楽しかった。通常、同じ場所を走っていると刺激がなく、注意散漫になることもあるが、「環状線は人や車の流れがその都度違うので、精神的につらくなかった」という。
特に夏休みの頃は、西町近くの中教院前に夜店が並び、夜遅くまでにぎわいが絶えなかった。「終電も満員ですごかった。みんな夜遅くまで楽しんでいた」と懐かしむ。
富山市中心部、丸の内周辺の生まれで、子どもの頃から環状線が生活の足だった。だから、車社会に押される形で1973年に環状線が廃止になったときには寂しさが募った。
60歳で嘱託社員となり、本来は65歳となった今年1月に満期となり、一線を退く予定だった。しかし、環状線を復活させ、新型車両を走らせる計画を知り、「元気だから、もう1年と会社にお願いした」。嘱託期間を1年延長した。
ただ、23日の開業以降、本番の環状線運転はしない予定だ。自ら指導した若手に委ね、静かに引退するつもりだという。「私は試運転で十分満足。若手が育っているから。あとは大丈夫ですよ」。そう言って笑った。
(2009年12月23日 読売新聞)
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