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都市計画道路・高速鉄道スレッド
1606
:
とはずがたり
:2009/12/05(土) 22:54:36
此処かな??
都市防災で緑地帯の効能はちゃんと評価されとるんでしょうかねぇ。
震災から15年 延焼防ぎ住民守ったクスノキ 長田ですくすく
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091205-00000073-san-soci
12月5日15時25分配信 産経新聞
被災樹の子孫が成長。植え替えへ 成長したクスノキを前に震災当時を語る野田北部まちづくり協議会の会長、浅山三郎さん=11月30日午後、神戸市長田区(彦野公太朗撮影)(写真:産経新聞)
■「今度は私たちが助ける番」 被災樹の“子”再生の証し
阪神大震災で家屋の約3割が全焼するなど壊滅的な被害を受けた神戸市長田区の野田北部地区。火災の延焼を食い止めながらも、枯れたり、撤去されたりした「被災樹」の苗木が、住民により大切に育てられている。「私たちは木に救われた。今度は私たちが木を助ける番」。来年1月で震災から15年。優しさを紡いではぐくまれた緑は、町の再生の証しとしてすくすくと枝を広げている。
[フォト]震災で被害を受けた長田区には「鉄人」も
「この木は特別やね」。野田北部まちづくり協議会の会長、浅山三郎さん(72)は豊かに茂るクスノキの葉をそっとなでた。震災で防火の役割を果たした被災樹の「子供」だ。
JR鷹取駅近くにある大国公園のこのクスノキには今も焼け焦げたあとが残る。平成7年1月17日。当時自治会長だった浅山さんは、自宅を家族に任せて火の手があがる現場へと飛び出した。
人命救助や住民の避難誘導に駆け回る間も火の勢いはやまない。浅山さんは覚悟した。「町は完全に焼けつくされるだろう」。だが東側の商店街を焼いた火は大国公園で止まった。広い空間があったこと、そして水分が多いクスノキが「水の壁」になったことも影響したと思われる。
「当時は木が火を防いだなんて信じられへんかった。でも、今は確かに木が助けてくれたんやと思う」
2年後の春。焼けただれ枯れたと思っていたクスノキに新しい芽が出た。「あの時のうれしさといったらない。自然の脅威ではなく強さを感じた」。翌年には同じ公園内のソテツにクスノキの種子が飛び、芽吹いているのも発見した。だが熱風にあおられた親クスノキは1本が枯れ、ソテツも18年に撤去が決まった。浅山さんは「町を守ってくれた木の子供」と苗をとりわけ、近くの別の公園で育て始めた。
浅山さんだけではない。野田北部の住民の木への思いは深い。震災直後、ボランティアグループが「焼け跡に花を咲かそう」と種や苗を持ってきてくれた。公園を中心に、住民が集まるようになった。きんもくせい通り。カリン通り…。震災後に整備された細街路28本はすべて樹木の名。住民自らが名付けたものだ。
焼けただれた親クスノキは樹医の治療によって、傷口も年々回復し、子クスノキは2メートル以上にまで成長した。「より多くの人が集まる場所に移す計画もある。植物によって救われた。今度は、私たちが植物の命をはぐくんでいくんです」
最終更新:12月5日18時15分
産経新聞
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